散歩道<3018>
講演会・明治天皇(在位1867-1912)のギフト
明治外交の一齣
明治2年(1869)、京都から、明治天皇は、伊勢神宮の内宮に参拝されている。、そこには日本国の誕生に関係がある天照大神がに祭られている。何百年と続く天皇の直系であることを意識されての行動ではなかったかと想像する。(講師の話)
明治時代は天皇を天子と呼び近親感を持っていた。 ケンペル(1651-1716)(ドイツ人)は、天皇のことを ミカドとして紹介している。 昭和になって、天皇として特に表舞台に立つことになる。
明治20年勲章制度が大改正される(大勲位菊花章・勲一等旭日桐花綬章、瑞宝章等設ける)。それは、儀礼であり、シンボルとして、権力関係を表すものとして使われるようになる。
それは、また、内外に、日本の脱亜入欧の精神で、近代化の始まりを示すものである。そこには、主権者として文明・日本をアピール、外国に、主権国家を取り付ける役目があったと思われる。
ギフト=貢物、献上品、(フロアより”ギフト”より、このような言葉の方が適当ではないかという指摘があった)。(講師の専門分野の文化人類学から見れば、対等の関係を天皇は示されていたようである。)
日清戦争、日露戦争前後は、主権国家の象徴として天皇は表に立たたざるを得なかった。両戦争での戦勝後は、日本はアジアの中心国家として君臨することになる。
明治政府が参考にした制度は、実際にはドイツよりもイギリスであったようだ。
英国大使がビクトリア女王の親書を携えてこられた時、同じ目線の高さにするために英国大使に立台を用意した。(あくまで対等であるということを意識した行動です。)(NHK篤姫*1の夫・徳川十三代将軍・家定が、アメリカの初代駐日総領事・公使・ハリスに始めて会った時、意識的に段差をもうけたのを覚えている人も多いと思います。これは意識的に上下の関係を意識するためである。)
明治天皇は、身につけたものを2度とは、使わなかったらしい。(例え、それが袴、羽織、衣服や、パイプや小物であろうと、親しみの気持ちを込め、外国の行使などに与えたそうである。それがウイーンの皇族の家に大切に今も、保管されているという話もあった)。
政治的や、文化的大事件である大津事件(1891)年の時は、ロシアと戦争になるのではないかと随分ロシア皇太子をきずかって心配され行動されたそうだ。
'09.7.14.国際日本文化研究センター准教授・ジョン・ブリーン
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