散歩道<2933>
仕事力・坂本龍一(1)・「甘ったれるなよ」 (1)〜(2)続く
自分の仕事は簡単には分からない。
父は自分には30歳までは遊んでいろといいました。父は簡単に何かになろうとするなといいました。地下鉄工事現場で肉体労働をしたこともあります。ピアノが弾けるので、酒場でピアノ弾きのアルバイトをして大切な音楽で安易にお金を稼いだこともあります。しかしこれをやったことは今でもトラウマになっています。
方向が定まる時は来る。
そして音楽フリーターとしてこんな生活を2〜3年ほど続けていました。しかしこんな小さな世界でお山の大将になったら終わりだ。このような生活から逃げだ出さなくてはいけないと思っていました。そこでYMOのメンバーである細野晴臣、高橋幸宏さんと出会うことになりました。全く畑の違う分野の人間が会い、異なる音楽性を次々提案し、色んなことを議論し、思いもつかないアイデアが次々生まれて大変刺激的な毎日を送ることが出来ました。しかし、全然売れなかった。最初にロサンゼルスで講演をやりました。1979年.10月、ツアーを始めたのは当時ファッション・ビジネスの中心だったロンドンです。何曲か演奏した後、自分のソローアルバムから「ジ・エンド・オブ・エイジア」を演奏するとステージの前でカップルが踊り始めたのです、この自分の歌は受け入れてもらうことが出来た、それを自分の目で確かめることが出来た瞬間です。真に嬉しい、幸福な瞬間です。自分の進むべき方向が見える、それは真に幸福なことだと思いました。
'09.4.19〜'09.5.17.朝日新聞・音楽家・坂本龍一氏
関連記事:散歩道<2093>京都議定書記念シンポジューム、<2818>この人にときめき・坂本龍一