散歩道<2915>
                   興味ある追悼文章・加藤周一さんへの追想(1)            (面白い文章に分類)    (1)〜(3) 続く
        5人の著名な加藤周一さんと親交があった方が追想の形で書かれているので自分なりに纏めた。それらの方の表現で興味あるものを抜粋した。

時代読みつつ”時流”離れ、
 対象に対し、必要以上でも以下でもない距離のとり方。日・欧・中と自在に及ぶ引照。「論理の力」自自身の観点を明示した上での批評は、世に言う「評論家」の言説とは違う硬質の世界に、読者を連れてゆく。あるときは小気味よく、あるときはさりげなく重く(「過去が歴史なのではなく、現在を決定する過去が歴史なのである」)定義づける仕方。そういうすべてが、圧倒的な個性的「知」の体系に組み込まれ、その量と質をさらに大きくしていく、その反復。「自然と歴史の脱神秘化」を自分の仕事として課した文学者にとって、伝統との対面・対決を突き抜ける創造が、そのチャレンジのおもな舞台となった。「伝統的現世主義が300年の平和を利用し、儒教倫理によって巧妙に合理化され、やがて圧倒的に大衆を支配するようになった」(
「親鸞」1960)この文章は1960年代以降」、「儒教倫理」を「経済優先」と入れ替えればそのまま、私たちの今を言い当てている'09.2.11.(法学者・樋口陽一氏)

ユーモア含む鋭い語法
 加藤さんは医者であり、科学者で合った。データーを集め、分析し、本質的なるものとそうでないものを峻別し
(しゅんべつ)、揺るがぬ結果を出す。その方法論は僕が大学の理学部で学んだものと同じだった。加藤さんにとって戦後すぐ医学者としてアメリカ軍と一緒に広島で原爆の後遺症の調査をしたことは重要な体験だった。論争の時の加藤周一さんは鋭い。その理由の一つは群れないことではないかと僕は思った。衆を頼まず、党派を作らず。これもまたぼくが見習ったところであった。「夕陽妄語」がいい例だが、加藤さんには論理的に容赦なく相手を追い詰める語法とは別に、ふと湧き出る、ユーモアを含んだ、箴言(しんげん)のような言い回しがあった。例えば、『羊の歌』の中、「おそらく熱烈な愛国主義者の多くは、隣人を愛さないから、その代わり国を愛するのである」とか、あるいは出典は忘れたが。「美は客観的である。しかし、美人は主観的である」とか。あの思想の源泉はどこにあったのだろう?一つは反戦と民主主義という思想だ。それを合理的に展開するための国際的な視野。ようするに他の事例との比較による案件の客観化。だが、それらの基礎となったのは、普通の人間という自覚ではなかったか。普遍であることと特異であることをはっきり分ける。そこからこそ普遍の思想が生まれるのではないだろうか'09.2.12.(作家・池澤夏樹氏)
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