散歩道<2913>
                               社説・見事にキレる高齢者に(1)                 (1)〜(2)続く
                 病気はしても病人にはならない  60歳過ぎれば人生思いのままに

作家の評論家の吉武輝子さんは「70代、80代は人生の旬」が口ぐせだ。今も年3冊の書下ろしを自らに課し、呼吸障害を抱えつつ携帯用酸素ボンベをもって講演に飛び回る。差別も戦争もない社会を夢見て活動を続ける吉武さんのエネルギー源と、老いや病に向き合う思いを聞いた。

・・・酸素ボンベ持参の講演を始めるきっかけは?
 1昨年夏にカリニ肺炎が悪化して入院したからです。約束していた講演をキャンセルするわけにはいかず、医師の了解をもらって携帯用酸素ボン
を持参し演壇に立ちました。以来、ペットのように連れ回っています。
 膠原
(こうげん)病といの付き合いは30年来です。右の肺は自然気胸ですでに無く、左も半分以上が肺気腫(はいきしゅ)。3年前には大腸ガンの手術もした。「病気のデパートのオーナー」を自称しています。
・・・病と向き合うこうは?
 「病気はするけど、病人にはならない」ことです。
 おしゃれをする。ハードルが少し高くても新しいことに挑戦して、「自分もまんざらではない」と自信をつける。医師と信頼関係を結ぶ。自分が必要とされる場所に進んで出て行き、エネルギーをもらう。この4ヵ条を実行しています。
・・・・女性運動や平和運動に長くかかわってこられました。
 14歳で日本の敗戦を迎えた私の戦後は、進駐軍の米兵による集団性暴力から始まりました。当時は「被害に遭うのは女の側の落ち度であり傷物の女は結婚できない」とたたきこまれていて、私も自殺未遂を繰り返しました。しかしその後、性暴力は、男性の人権も蹂躙
(じゅうりん)する文化構造や国家の非情さの問題だ、と思うようになりました。
 戦時中は私も軍国少女で、出陣学徒を旗を振って送り出しました。同じ過ちを繰り返さないため、平和憲法を次の世代に引き継いで生きたい。そういう思いから性暴力に遭った体験についてカミングアウトしたのが、41年前です。
 「自分が悪くない」ことに気づいた女性も大勢いました。
・・・ご自身の傷は癒えたのでしょうか。
 いいえ。だから、抑圧されているストレスを誰かが弱い女性にぶつける・・・・そんな差別の構造に出合うと、体が怒りで動いてしまうのです。「幸福になりたいという意志を奪われた」と思うようになって以来、そういう生き方が続いています。「女は視野が狭いね」と言った夫も、亡くなるまで47年間、一緒に暮らしながら遠い存在でした。

'09.3.6.朝日新聞・語る人・作家・吉武 輝子さん


関連記事:散歩道<1957>世相(29)切れる大人、<1283>-3・限界集落NO1、<2399>限界集落NO2、<2816>-2沸騰都市<検索>高齢者、<2062>*1男性はおとなしい、<2368>-1*1男社会、