散歩道<2909>
講演会・京都の文化と環境・・・水と暮らし(1) 自分流に纏めた。 (1)〜(2)続く
京都盆地の多くの地区が湿地帯であった。京都は水であふれていたと思われる。天皇や将軍が貴族が別荘や庭園を作り、後で寺に寄進された。その後、町は開発されていく、庭園にも、枯山水のように水とは無関係に文化(抽象的)が出現するようになる。京都には東山、北山、西山に文化ができた。奈良にはこのような(庭園)はない。世界のどの都市でも町は川の氾濫が当然予想されるような平野の危険地区に作られている。
京都の湧き水は、滞留時間250年間、安定したゆっくり流れる地下水が京都の文化を支えてきた。京都の湧き水は漬物、酒、茶、日本酒、麩(ふ)麩は地下水の水を使う、野菜、染料にも適している。
平安時代に、仏教寺院は東寺、西寺二つだけ作られた。そこでは伽藍(がらん)形式で、学校講義するところであり、国をどう救うかが考えられた。しかし平安時代個人を救済したのは、所謂役所(東寺、西寺のこと)で働けなかった修行僧の僧侶たちである。丘陵地区にお寺が数多く作られていった。
上加茂神社、下鴨神社、貴船神社の水は聖なるもの、清めるものとして使われ(手(み)洗い川、御物忌(おものい)川)、それが一般民衆にも使われるようになり発展してきた。御所三名水、京都三名水として、京都は名水と生活(経済、宗教、文化)がつながっている。
'09.5.10.「京都の文化と環境・・・・水と暮らし」・パネルディスカッション・国際日本文化研究センター教授・宇野隆夫氏、同じく教授・白幡洋三郎氏、総合地球環境学研究所教授・谷口真人氏、同じく教授・秋道智彌氏、同じく教授・佐藤洋一郎氏
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