散歩道<2900>
                    面白い文章(18)-1・半藤一利様21世紀への伝言(文芸春秋)から

               1、
「四方の海みなはらからと・・・」・御前会議での天皇の発言
1941(昭和16年)9月6日                                     
 
1941(昭和16年)9月6日、皇居内の千種の間で御前会議がひらかれた。近衛内閣は筋書きとおりに「戦争を辞せざる決意のもとに」対米交渉を行い、「10月上旬にいたるもなお我が要求を貫徹しうる目途なき場合においては、ただちに対米(英蘭)開戦を決意す」という国策を決定する。
 「10月上旬まで、9月6日から1ヶ月しかない。この間に外交渉がまとまらなければ、対米英戦争に突入するという。太平洋戦争はこのとき始まった、といっていいのである。
 御前会議では、天皇は憲法にのっとり「無言」を守ることになっている。しかし、このときにかぎり昭和天皇はポケットより紙をとりだし、これを詠んだ。「四方の海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらむ」
 明治天皇御歌である。そして「なお外交工作に全幅の努力をするように」といった。が、昭和天皇の平和愛好の気持ちが空しくなるのは、歴史の示す通りである。半藤一利様
                     

                2、「都市がまるで交響楽だった」・レニングラード包囲さる・1941(昭和16年)9月8日 
 ソ蓮第二の都市レニングラードは、フインランド湾の奥まるところにある。西に軍港があり、ドイツ軍には魅力的な獲物として見られていた。
 
1941(昭和16年)9月8日進攻した、ドイツ軍はこの大都市を完全に包囲した。ここで三百万以上の市民とそれ以上の軍人が閉じ込められながら、実に九百日わたる一大攻防戦を頑張り抜いた。
 この凄惨な戦いの中に消防隊員としいて奮戦しつづけた作曲家がいる。ショスターコービッチである。彼は戦いながら第七交響楽を完成させた。その第一楽章の、小太鼓の猛烈な連打は、戦場の体験そのままであったのかもしれない。
 戦後に見たソ蓮映画「レニングラード交響楽」の感動も記憶に残る。戦線のいたるところから、戦っている演奏家達が呼び集められる。彼等の奏でる曲が電波に乗って流れ、反撃の意思を歌いあげた。戦士がいう。「一つの都市がまるで交響楽のようだった」と。まさにそんな感じの映画であった。半藤一利様

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