散歩道<2879>

             opinion・私の視点・大人になる君へ・他人のせいにしない姿勢を(2)             (1)〜(3)続く

 とくに哲学にのめり込まなくても、青年のころは多少こういう実感も持つものだが、大人になって厳しい世間の風や波に身も心もすり減らされていくうちに、そんなことはどうでもよくなり、「とに角生きなくては」という言葉がすべてをなぎ倒してしまう。だから、そうならないように、いまから身を引き締めておこう。
 一抹の不安とともに、いままさに人生に船出しようとしている君は、すばらしい可能性を秘めている。それは、きみは希望を捨てず努力すれば何でもできるという無責任な激励ではなく、きみがどう生きていくかはすべてきみの手中にあるということだ。きみが自分を「才能のない人間」と決めることはそういう自分を選ぶことであり、自分を「もてない男(女)」と決めることはそういう自分を選ぶことである。
 この意味で・・・サルトルとともに言えば・・・・誰でも否応なく「自由」なのだ。だから、すべてを誰かのせいにするのもきみの自由である。面倒なことは考えずに、自分を物のように固めていくのもきみの自由である。全てを諦めて幽霊にように生きるのもきみの自由である。だが、そういう選択の積み重ねはきみから生きる力をそぎ、きみをますますやせ細らせるであろう。それは、安全で無難かもしれないが、つまらない生き方ではないだろうか。
 学力の低い親のもとに生まれたから、教養のかけらもない環境に育ったから、魅力的な肉体の遺伝子を受け継がなかったから・・・・自分はこんなにだめな人間なのだ、ときみは言う。とにかく人間のことは皆目わからないとういうことを思い起こしてほしい。
 その中で、きみは自分の本質をそう決定し、それが人生を規定すると解釈したのだから、その責任はきみにある。自分の「だめさ」を固定してそれを親や状況のせいにしたのはきみである。その意味で、きみは自分を「だめ人間」として選んだのだ。だから、きみは未来永劫にわたって「だめ人間」になるであろう。
 だが、何が一人の人間の行為やあり方を決定するかは、じつのところ全く分からない。だから、どんな人でもどんな瞬間でも、「いままで」を完全に断ち切って新しいことを選べるのだ。
 
'09.4.16.朝日新聞・哲学者・中島 義道氏