散歩道<2834>
                        美術展シルクロード交流舘を見る

1、シルクロードには何本も道があったのだ。(草原の道、オアシスの道、海の道)。交流舘の資料から、リヒトホーフェン(1833-1905)、アレキサンドロス大王(前356-323)、チンギスハーン(?-1227)、玄奘三蔵(602-664)、マルコポーロ(1254-1324)、張騫(前?-14)等がそこに関係した人たちである。

2、ここの交流舘には、遺跡は数多くはないが、シルクロードとテーマー
(交流)を大きく掲げ、特色を出すことが出来れば面白いのではないか。(同じ奈良公園内にある奈良国立博物館の数多い遺跡の分野はここにまかす)。遺跡、歴史記述、仏像、文物、音楽、文字、織物、ガラス、飾り、動物等の発掘状況や、各種研究の成果の資料を、交流舘に揃え、保管すれば、この交流舘の意味は十分ある。
備考:2010年は奈良遷都1300年になる、記念行事が盛大に行われるだろう。

3、最近の写真の技術の発展は、
本物と間違うくらいの精度で、記憶として残すこともでき、破壊されたものも再現出来る。ここに展示されている、シルクロードのオアシスの町、敦煌莫高窟第285窟の実物大模型は平山郁夫さんが当時写生されたり、写真で撮られていたものが再現されたものである。

4、そこに海に沈んだ文物(アンフォラは、ギリシャ・ローマ時代の取っ手が付いた土器、ギリシャのブロンズ像「踊るサテュロス」*1又、民放お宝探しで、当時の日本から西洋へ輸出されていた磁器は色は、残っていないが、柄模様がここでわかった)を採集することにより、当時の交流品の状況や文化がわかる。又、西アジアの印章
(スタンプ印章、円筒印章)、色、柄模様、価値基準、貨幣などの動き、当時の王や貴族が何を考え、重要視していたものなどがわかる。布の切れ端でも割れた陶器の欠けらでも、歴史を研究する人にとってはそれは十分役立つのだろうと思う。

5、数百年の年月を経て、出土するものは、
木造物よりは、多くは仏像や陶器等の鉱物である、それを、魚拓のように紙に上から墨を塗ることで凹凸のある形や字は読み取ることが出来る。西洋から中東、日本へとそれは600年の年月をかけて伝わったと書かれているが、草原の道で確認されている金冠は(アフガニスタン、韓国、奈良と形を少しずつ変え伝えられた)。出土した遺跡から形や、文字の解析により、年代が確認できれば、時間が繋がり、歴史の流れを把握することが出来るし、それが伝わったルートもわかる。一つの文章(物語)が出来上がることは、 新しい学説や、多くの分野への発展が明かされる。又、貨幣は交流範囲の広さと権力の度合いを知ることも出来る。

関連記事:散歩道<312>-1新しい発見や認識<585>美術館運営(2)投書・私の意見、<1984>ペルシャ文明展、<533>*1踊るサテュロス<2216>ガンダーラ美術とバーミヤン遺跡展、<検索>.美術展