散歩道<2812>
                          仕事力 ・判断の核を育てよう(1)         自分流に纏めた           (1)〜(3)続く
             もう一度生まれかわっても、外交官をやりますよ  内向き志向を脱する時だ

 商社に勤務していた父は戦時中、何回も死地をかいくぐり命拾いをし、戦後はインドなどに赴任し海外で仕事していました。個人の運命というものは国家の運命によってすべて変わってしまうのだと、私は父の話から感じとっていたのかもしれません。個人の運命は国家が握っている。しかし、当時の日本は、外交によって戦争を止めることはできなかったのです。あの戦争で国家の運命を変えられなかったのはなぜだろうか、自分が外交官となったらどのようにして国の運命を担えるのだろうか、そんな意識を持ちました。しかし遊んでばかりしていた時に、「お前は遊んでばかりでそれでいいのか」という、友達の何気ない一言によって自分は、外交官になろうという眠っていた気持ちに火がつきました。
 苦労しないで、特定の職業に就くのは難しい。企業への就職、プロ野球でも、職業はすべてそういうものです。
 大学の私のゼミから外務省に入った多くの学生は、私が言った一言「もう一度生まれかわっても、外交官をやりますよ」という言葉が、彼等の気持ちを動かしたようだ。 若い人に投げる言葉の大切さ、無垢な
(むく)な気持ちに届ける言葉について責任を感じています。

 1979年当時は、戦争に負けた国であり、これから世界に受け入れられる国になっていこうと、日本の運命を作っていかなくてはいけない時代でした。国際社会に入るとはどういうことか。国と国との関係を正常化し、様々な国際機関に加入し、さらに被害を与えた国との間で賠償や補償の協定を結んでいくことです。今までの50年間は、その意識が基本にあって努力が積み重ねられてきたのです。政治や外交だけでなく経済も、日々の生活も含めて日本全体の目標がハッキリしていました。遡れば日本の開国、明治維新、そして第2次世界大戦まで外からの要素に対して受身でありましたが必死で努力してきたのが日本の生き方です。自分はODAの倍増を目指す構想を計画し実行することに努力しました。何としても国際社会で日本の立場を築きたいという強い思いが、いつも私の中にぶれることなく存在していました。今アメリカのサブプライム問題から金融危機になり、経済危機になり日本はその影響をもろに受けています。しかし、日本はまるで国際社会との間に垣根が存在するかのように外を向かずに済ましている、若い人も外へ出て行って仕事をする雰囲気が減少しています。外交官になる、国連に就職する、外国に留学する、企業の海外駐在員に出る、など海外で勝負する気持ちになっていない。いかにも内向きではありませんか。外に目を向けることなく、内向きにすべてを済ませてしまおうとしているように見える。政治もメディアも有識者も、もう1回覚悟を決めて内向きから外向きに意識を帰る必要があります。若い人は日本人の力を過小評価しないで、国際社会の中で照らしてみてください。プロ野球も、アニメの世界も評価は高い。自分の国に自信を持つ事から始めようではありませんか。

'09.1.25〜.2.1.朝日新聞'09.2.8〜.2.15.朝日新聞・日本国際交流センターシニア・フェロー、田中 均氏

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