散歩道<2770>
面白い文章・ 「狭き門」・1909.(明治42.2)・「そもそも角力(すもう)は日本の国技」1909.(明治42.6)
アンドレ・ジードの名作発表
有名大学や一流企業などは競争が激しく、容易なことでは入れない。そこから「狭き門」という。が、これはとんでもない誤用なんである。もとを正せば『聖書』のルカ伝とマタイ伝とにある言葉である。
たとえばマタイ伝第七章「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入る者多し。生命にいたる門は狭くその道は細く、これを見いだす者すくなし」
つまり天国の救いにいたる門は狭く、苦労しなければ見つからない。誰もが目指す門が狭いと悲鳴を上げる精神は、むしろ安易なりとさとしている。 ところで、この言葉が日本で一般的になったのは、『聖書』からではなく、アンドレ・ジードの長編「狭き門」かららしい。愛を貫き通すための努力、純潔、犠牲、宗教的至純の愛を高らかにうたいあげたこの小説が、日本の青年男女をはげしくゆさぶった。今も読みつがれている。ジイドがこの小説を雑誌に発表したのは、1909(明治42)年二月のことである。半藤一利さん
備考:丁度100年前の今月ですよ!。
両国に国技館ができる
国庫補助もおり、工事がはじまって満三年、すっかり建物が出来上がっているのに、名前がなかった。議論百出するが決定打がでない。「武道館」をよしとするもの、「相撲舘」を可とするものなど命名委員会はケンケンゴウゴウ。そのとき年寄りの一人尾車文五郎が、作家江見水陰にすでに書いてもらってあった「開館披露文」を眺めていて、ふと目をとめた。
「事新しく申しあぐるは如何なれど、そもそも角力(すもう)は日本の国技、歴代の朝廷これを奨励せられ・・・・」。
尾車がおずおずとだした「国技館」案に、委員長板垣退助がすぐとびついた。
「ウム、国技館とはよき名だ、それでいこう」
開館式が1909(明治42)年六月二日である。新聞が皮肉って書いている。
「国技という新熟語も妙だが、角力ばかりが国技でもあるまいという冷評が、一般に喧伝されている」
新聞がどういおうと、大相撲はいらい日本の国技となった。剣道や柔道や弓道が悔しがっている。半藤一利さん
備考:'09.1.31.折しも尾車部屋・若麒麟が大麻所持で警察に逮捕されたという記事で新聞で持ち切りだ。
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