散歩道<2761>
講演会・志賀直哉の関西観
講演会、解説、フロアからの発言も入れ、講演内容を自分流に纏めてみた。
1、志賀直哉(1883-1971)が、関西と東京を比較することができたのは、東北(宮城)に生まれたことが背景にあるではないか。
2、志賀直哉は京都、奈良には住んだが、好きではなかったようだ。それは、最初、関西に来て、家を探した時に、対応が実に冷ややかだったことがその原因と思われる。しかし、元々、古美術、陶器、庭、昔の建物、お茶、お花の文化には関心があったので、一流のものを見て満足したようである。長く田舎にいると事大主義(勢力の強いものに追随していく傾向)になるという。奈良は東京と比較して退廃的な気分になり?、男子教育にはよくないといっている。
3、東京は武士の文化であり、建前の文化であり、ええ格好しいの文化である。東京は流行を追い、人に親切で、文化も進んでいるといっている。東京は形が似ているものを大切にする文化であり(形の文化)。それと比較し、京都は形が似ているのはよくないと考え(真実はどうかの文化)である。
4、京都は日本文化の源である。京都は女の都である。菓子、豆腐、がんもどきはいいが、他のものは今一つだと言っている。京都言葉には、額面通り受け取ると間違う場合がある、言葉のニューアンスが他地域の人には難しいものもある。ここで生活するには覚悟がいる。
5、京都は参勤交代で徳川幕府に、長い間、歴史上踏みつけられてきたと思う。また京都は、幕末、蛤御門(はまぐりごもん)の変の火事で、町のほとんどが焼け野原になり、それまであった京都の日常生活は破壊された、明日はどうなるかわからないような状況になった。その後、明治天皇は東京に移られることになった。
6、学会でも、京都には、今の動きから一歩退いて、本質的なものを追わないところがある?。
7、谷崎潤一郎(1886-1965)(古典的日本的美意識を深め、数々の官能的な世界を描いた)と比較して、志賀直哉の作品は、男言葉で、コントラストがはっきりした表現で表している。
'09.1.16.国際日本文化研究センター准教授・郭 南燕さん、コメンテーター・国際日本文化研究センター准教授光田和伸氏
備考:上海のイメージはハイカラの町、上海という意味は、海の上の町ということだそうだ。
備考:上海の言葉と北京の言葉は全く分かり難いそうだ。
備考:京都府に生まれ、奈良に親しい友達がいる者から見れば、一度親しくなれば他県と、何も変わったところはないと思う。