散歩道<2743>
世界変動・危機の中で・米金融・IT サバイバル(2) (1)〜(3)続く
1、つまずいたベトナム進出攻勢、 2、膨張続けた投資銀、傷だらけ、 3、シリコンバレー、強烈なリストラ
膨張続けた投資銀、傷だらけ
米国の投資銀行は、バブル崩壊で傷ついた日本の金融界にとって、「敗戦処理」の担い手になった。
「邦銀と米投資銀行ではリスクに対する考え方がまるで違った」。02年に三井住友銀行頭取から日本のGSに移った足助明郎会長は振り返る。
GSは経営破たんした日本のゴルフ場を一時100箇所以上も買い占めていた。「金融機関がゴルフ場を買うなんて信じられない」と足助氏が担当者に問いただすと、底値近くで買ったゴルフ場の運営や資材調達を共有化し黒字にする計画が立っててあった。
投資銀行は、元々は日本の大手証券会社に近く、企業合併・買収?や株式、債権の発行など財務面の助言が主な仕事だった。それが80年代、債権を小口に分けて機関投資家に売る「証券化」といった手法を取り入れ、リスクを売りさばくビジネスを世界的に展開することになった。
しかし、ここ数年は、世界的な金余りを背に市場から低利で資金を調達し、自らのリスクで投資する手法に傾注した。「地道に人間関係をつくって財務助言の仕事をもらうより、『ウチが金を出すからM&Aをやらせて欲しい』ともちかけた方が手っ取り早く稼げた」と元リーマン・ブラザーズ社員は話す。証券化したローンも売れ残りは自分で抱えた。「もうかるなら、どんどんリスクをとれという雰囲気だった」
会社の規模も膨らんだ。バンク・オブ・アメリカに救済されたメレルリンチは03年からの4年間で総資産が倍増し、約1兆j(約90兆円)に達した。だが、米国の住宅バブル崩壊とともに、投資銀行の栄華もついえた。
「自分もいつきられるのか」。東京・六本木ヒルズにある旧リーマンの日本拠点で昨秋,動揺が広がった。日本拠点は9月のリーマン破綻後、野村ホールデングスに引き継がれた。その直後、一部の社員に退職勧告が始まった。
M&Aで数百億円の取引を狙うのが普通だったリーマン時代とは違い、野村の現場は「支店から持ち込まれる数10億円の取引もこなさないと評価されない」(元リーマン社員)。スマートを誇った投資銀行の企業文化が「日本流」に飲み込まれようとしている。「産業再編に資する仲介ビジネスに投資銀行は回帰する必要がある」。日本のGSとリーマンを経て、昨年11月からJPモルガン証券のM&A部門の責任者を務める柴田優さんは協調する。「原点回帰」する投資銀行に代わって、新しい「リスクの取り手」はどのように現れるのだろうか。
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