散歩道<2722>
私の視点・危機の時代・多極化世界を生きる(2) (1)〜(2)続く
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歴史を振りかえってみよう。19世紀は欧州の世紀だった。欧州列強は世界大の殖民地体制を構築し、近代科学を世界に広め、「文明」を先導した。20世紀は米国の世紀だった。わたしたちは自動車の文明を生き、ハリウッド映画とロックで感性を磨き、IT文明の入り口に導かれた。
21世紀はどうか?。アジアの世紀、というのが一つの答えである。中国は米国を凌駕(りょうが)する経済超大国となり、インドも超大国化するだろう。アジアの力は今世紀中に欧米を凌(しの)ぐというわけである。
アジアの世紀と言い切ることにはためらいもある。が、21世紀は欧米中心の20世紀より確かに多極化した多文明の世界になるだろう。そう見るなら、現在の金融危機とは進行しつつある世界の変容の一局面に過ぎない。
欧米中心の世界から多極世界への変容とは、国際社会の力のあり方の変化を意味する。選挙による政権交代という権力移譲システムを欠く国際社会では、そうした変化は巨大な摩擦と衝突を伴なう。
では21世紀とは、摩擦と衝突に満ち満ちた、最悪の場合大国間の戦争を伴う恐るべき時代なのか。答えはわたしたちの世界認識と行動にかかっている。時代とは「なる」ものではなく、わたしたち人類総体が「つくる」ものだからだ。
米国は唯一の超大国から多極の一つになるだろう。独善的普遍主義の強い米国にとって、それは納得し難い過程だろう。中国とインドは多極のひとつとなるだろう。文明の中心という自負を持ちながら19〜20世紀に殖民地・半植民地の屈辱を味わった両国にとって、21世紀は屈辱を晴らし、「中華」的な思想を復活させる絶好の時代に見えるかもしれない。これらの認識は衝突しないのだろうか。
きな臭い時代ではある。しかし主要国の指導者は、これらの問題を漠然とではあれ意識して行動している。中国の指導層がナショナリズムの暴走を抑えようとし、米国のオバマ時期大統領が多国間主義を国民に説くのはそのあらわれである。
'08.12.29.朝日新聞・東京大教授・大沼 保昭氏