散歩道<2710>
発想を代える・音楽会、1つ、(1年ふり返って、2、皆の中で個人を見つける) ・・・・・発想を変える
音楽会、1年ふり返って気づいたこと、
1, 最近の定期音楽会や管楽器の演奏会に行って感じるのは、まず指揮者は重労働である、また構成や編曲、全体を纏める力量など大変な能力の持ち主であることがわかる。先日の演奏会では演奏に全力使われた結果、アンコール曲には答えられなかったが、それまでの指揮を見てた観客にはそれは十分理解できるほどの熱い指揮であったように思う。演奏者も指揮者の指揮に合わせて、一糸乱れぬというのが正しいのであろう。一人一人が役割を果たされているのである。
音はやはり体で表現するものである、強い音には体一杯の力で表現する、弱い音にはその力を思い切り制御する。
(西洋音楽も同じで、散歩道<2611>で、琵琶を奏でる奏者が玄が切れんばかりに撥で強く演奏されるのに感心したからだ),(それが楽器を通して表現できるということだ)。
音楽、2、皆の中で個人を見つける
先日、来日中のベネズエラの管楽器の演奏会NHKで、を聞いた。楽士皆が体一杯に音楽を楽しんでいるという説明であった。(記憶が間違っていなければ、国内ではいろいろと問題起こした人で、結成された楽団で、彼らは今、音楽に生甲斐を見いだしているという)
ここで全く関係ないことを考えていた。秋葉原事件や全国で起った殺傷事件の犯人が、このような世界で演奏するために全力をつくす経験をして生きていたら事件など起こさなかったのではと思った。自分の演奏力が楽団の組織の中で生かされるどうか、彼に要求されている音を出し、皆に合わす事ができるのか、自分ひとりよがりでなく、皆のレベルまで達したか見極めねばならない。人が相手にしてくれないのでなく、自分から相手にされる演奏者になることがまず必要である。社会は例え自分が気がついてなくても、全ての人の役割から成り立っているものと思う。
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