散歩道<2708>

                 時の肖像くぐもる年の瀬・ブッシュ・小泉時代の終わりに(2)                  (1)〜(3)続
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 「誤った情報」で始まったイラク戦争を、いち早く支持したのが当時の小泉首相*1だった。今年、突然引退を表明し、後継には世襲を望んだというが、ブッシュ氏の痛恨の弁をどう聞いたのだろうか。親密さを強調するふたりに共通していたのは、白黒をはっきりさせるように迫る手法だった。01年の9・11同時多発テロの後、ブッシュ氏は「敵か、味方か」を世界に問い、米国への同調を迫った。小泉氏は、郵政の民営化に「賛成か反対か」と迫り、「改革か抵抗か」で敵味方を振り分けた・こうした単純な「AかBか」への志向は、経済界にも広がっているのかもしれない。今の深刻な金融危機に、政治が総力を挙げて速やかに策を施すのは当然だが、経営の側の責任も重い。好調な時には手を広げるだけ広げておいて減産で即首切りでは働く側がやりきれない。企業の存続への努力と共に、雇用の維持でもぎりぎりの工夫が求められる。「解雇か継続か」の二者択一ではなく、仕事を分け合う形でしのぐ余地がまったく無いのかどうかを最後まで探り続ける責任があるだろう。

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もしも、この二者択一へ傾きの背景に、コンピューターの働きに象徴される「0か1か」「イエスかノーか」というデジタル的な影があるとするならば、ことは深刻で、根は相当に深い。この世のもろもろの現象や人の営みは「0か1か」だけではとらえられきれない。体や心の動きや働きは、0でもなく1でもない微妙につながったアナログ的な連続性の中にある。「0か1か」の電算機の回路が、人間の思考の回路にまで影響を及ぼし、0と1の間にある人間や人生の「ひだ」がみえにくい時代になってしまったのか。電算機の力で世界は驚異的な速さでつながるようになった。その速さは、まさに人間業ではないのであって、操る側の人間の方が「0か1か」の端的な区分けをまねしようとしたり、速さにひきずられたりしていいはずはない。安易に「取りあえず先送り」の時代に戻ることはできないが、単純な正邪二元論や「AかBか」への過度な傾斜には、取り返しのつかない危うさが付きまとっている。

'08.12.22.朝日新聞・論説顧問・高橋 郁男氏


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