散歩道<2675>
                 講演会・江戸時代の比丘尼御所の世界・・・信仰に身を投じた四人の皇女

 こ
のような話を聞くのは初めてである、後水尾天皇(1596-1680)、と後西天皇(1637-1685)の4姉妹が仏道に入り、修行と敬虔な信仰生活を送られたという話、今に残る絵や仏像、掛軸に残された文字などを通して研究されたことなどを講演された。幼少の名前が出家され代わった事等もあり、中々話についていくことに苦労した。(調べたが、史料にもこれらの記事は殆ど、残っていなかった)。 (自分流に纏めた)

 梅宮: 
後水尾天皇の第一皇女・幼児期は沢宮、1651年一糸文守に得度(出家)され文智尼になる。 円照寺→奈良の円照寺に移り、息緑庵、多くの文字を残し、教えを説かれた。法号は大通。
 光子内親王:後水尾天皇の第八皇女・幼児期は緋(朱)宮、出家され照山元揺と名を代え、その後、林丘寺で離脱のこころみを行う。聖観音像・後水尾院像・白衣観音像・樒葉観音像等 3000以上を作ったとされる。僧尼禁誠書も現わす。隠元隆埼(いんげんまめを伝えた)の禅寺で、肉食やめ、禁欲生活を送る。号は普明院、
 櫃宮(かしのみや):宝きょう寺・徳巌理豊・理豊尼、法衣、僧法衣をまとい、法華経を熱心に説かれている。大きな文字など、多くの文字等書かれたものが残っている。信者に熱心に教えを説かれた。
 寿宮
(かずのみや):大規・別宗和尚に送った偈という字がある、一月一射の観音菩薩つくられた。光照院

'08.11.27.国際日本文化センター教授・パトリシアフィスターさん

 
備考:当日、興味をひいたのは、
*1日仏交流150年を記念して会場に展示してあった、日本の万葉集や和歌や俳句をフランスでどのように訳され、紹介されたかという当時の印刷物やその展示品である(失礼)。台紙には、当時飛んでいたトンボが多数、また白鷺や蝙蝠等、田舎や日本の風景である。そのフランス語を見たが(文字を理解できたわけではない、構図的という意味)、日本の和歌や詩は、優しさや空間、背景などやはり日本語が一番あうように思った。次にフランス語が英語やドイツ語、スペイン語ではないかと思った

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