散歩道<2637>
面白い文章(70)(私の考えです)・なぜ国風文化ができたのか?(平安朝の文化にその歴史背景を考えた)(1) (1)〜(2)続く ・・・随筆 ・・・発想を変える
元々日本には飛鳥、奈良、平安時代前まで、当時から民衆に根付いていたのは神道と思われる、そこへ仏教を始め外国文化が当時は物珍しさもあって、どんどん一方的に吸収することが行なわれた。仏教は神道の中に(神仏混合として)取り入れられていく。雅楽も唐舞、高麗舞として唐、朝鮮から日本に伝わり、それが日本古来の国風舞と、3種類の舞が存在することになる。
しかしその文化や行事は平安時代以降も宮中には存続したが、広く民衆に伝わることはなかった。貴族社会の衰退とともに、地方の豪族が、次が武士が力を持つことになりやがて、一般民衆も徐々に力をつけてくるようになる。
雅楽等の文化が、一般社会に伝えられなかった背景に、飛鳥、奈良、平安と伝えられた外来文化も、日本文化の成熟、発展と共に、新しい文化を唐や高麗から吸収する魅力も薄れ、日本独自のものが形成されていくようになった。決定づけたものは遣唐使の派遣中止令である。公的な文章は漢字や漢文で(これは長く存続する)あったが、感情を自由に表現するには”ひらがな”や、”カタカナ”にはかなわなかった。大和物語、土佐日記が世に出る、伊勢物語の作者は男性だが、女性の立場でその文章を書いている、そのような文化が日本から逆に、中国や東南アジアに輸出されるようになったという。
'08.11.NHK「源氏物語を宇治・平等院に訪ねる映像」の中に、当時民衆が踊る舞の田楽(でんがく)が紹介されていた。田楽は舞こそ違うが、その衣装は赤と緑である。宮中の雅楽で踊られていた、唐舞(赤)、高麗舞(緑)の衣装と一致する。(この踊りは動きが実に激しいものであるが民衆に舞として伝わってたと思う)。又猿楽も盛んになる。
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備考:散歩道<3529>学者の見解では、遣唐使の派遣中止ということが、国風文化になった一番の要素だと考えられると発表されている。2010年5月10日
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