散歩道<2597>

                   経済危機の行く方欲望と倫理 バランス不可欠(2)            (1)〜(3)続く

責任持つ者いない市場万能主義

 市場は万能なのだろうか。一番の問題は、国際金融市場には、責任を持っている人が誰もいないということだ。市場に任せる範囲、取引のルールや情報開示の基準は、人為的につくるしかない。これを誰がやるか。
 常識的には国際通貨基金(IMF)のような国際機関だが、その現実は各国の政府の寄り合い世帯だ。それぞれの国益をポケットに入れているから、具体策づくりは非常に難しい。
 
マックス・ウエーバーではないが、そもそも資本主義には、企業家でも投資家でも、自身を律する倫理があったはずだ。それが、いまやクリード(強欲)ばかりの金融資本主義になった感がある。公正さと強欲、利益追求のバランスをどうとるのか。強欲だけで経済を動かしていくのは限界があるとわかったのが、今回、相当に高い代償を払って得た教訓なのだろう。
 米国の大統領選挙で共和、民主両党の候補が掲げる政策が、従来のワシントン・コンセンサスや米国型資本主義への反省を含んだものになるのか。新たな社会モデルが提示されるのか。そこが今後の分かれ目になる。
 市場へのコントロールが必要ということは多くの人が共感しているが、規制が行き過ぎたり、保護主義やポピュラリズムが強くなり過ぎたりする心配もある。逆に、米国人はそれほど自分たちのやり方が間違っていたと思っていない感じもある。米国人が自らを矯正する力が、どのくらい残っているかだ。
 もう一つ、米国の「過剰消費」経済がどう変わるかも、今後の行く方を決める重要な要素だ。財政や経常収支の赤字を続けてドルを世界に垂れ流し、それが米国に投資されていったん国内に戻ったあと、再び他国に投資されるという構造の中で、米国の住宅バブルが起きた。過剰消費が危機を大きくするふいごの役を果たしたともいえる。
 消費主導の経済が続いた背景には、大恐慌をケインズ的な財政拡張政策で、最終的には第2次世界大戦によって片付けたことがある。このため戦後も需要喚起の考え方が根付いた。昨年までの世界同時好況も、米国の過剰消費による成長だった。

'08.10.18.朝日新聞 元大蔵省財務官・行天 豊雄氏