散歩道<2593>
アジアと日本・文化共通意識生かす外交へ(1) (1)〜(3)続く
アジアにおける強国としての地位に頼り(欧米中心の)国際社会を生き抜く・・・・それが明治時代から、1930年代までの日本外交の行き方だった。そこでは、国益、すなわち富国強兵のために、帝国主義諸国との協調が重んじられた。しかし、アジアの中での強国の地位を追いかけすぎた結果、アジアのも民衆運動に背を向けたのみならず、英米の主導する国際秩序そのものの変更を追求、それも軍事力での変更を追求した結果、アジアの民衆に被害と屈辱を与えただけでなく、国際社会から糾弾された。
国民の間に、アジアの民衆と連携する意識が全くなかったわけではない。しかし、それは漠然としたアジアへのロマンチシズムか、さもなければ西欧植民地主義への反発を基礎にするものに過ぎなかった。しかも、アジアの大衆は、教育の上でも、経済水準の上でも、日本と連携するだけの基礎を持たなかった。
'08.10.18.朝日新聞・国際交流基金理事長小倉和夫氏
散歩道<423>世界の窓・日中の両国が色眼鏡はずして、<984>世界の窓・中印、大国としての「責任」は(1)〜(3)、<1312>世界の窓・権力を抑止する「徳」が必要1)〜(3)、<1530>世界の窓・アジアそれぞれの「解放」(1)〜(3)、<2232>歴史は生きている・民衆が動かした近現代史(1)〜(3)、
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