散歩道<2563>
私の視点・小泉氏引退「劇場政治」の呪縛解けるか(2) (1)〜(3)続く
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こうした手法は、「罪」の面を同時に持つ。小泉流の単純化は、日本社会のあちこちに境界を持ち込み、分断を作った。国民を二分し、情念に訴える手法は、民主主義に不可欠な「熟議」、すなわちじっくり考えつつ討議することを軽視するものだ。
物事を単純化しワンフレーズで語るスタイルは、テレビと政治が合体する「テレポリティクス」の時代に適合するものだ。政治の劇場化は「面白さ」「わかりやすさ」を生み、政治を身近に見えるようにした点で、「功」と言えるかもしれない。
しかし、国民にとってはある種の麻薬のようなものでもある。政策選択や利害調整は本来複雑さを伴う。そこに目をつぶった単純さの味を知った国民が、今後もそれを求めるとしたら、代償は大きい。
いま大きな問題になっている格差や貧困は、新自由主義的な政策を展開した小泉政治がもたらしたとの指摘があるが、検証は簡単ではない。ただ政治的に見ると、彼の分断の手法が、結果的に格差についての国民の意識を高めることになったのは確かだ。
一方、「強いリーダーでなければ」という呪縛は、後に続く首相たちにとりついてしまった。安部元首相は無理な「官邸主導」を演じようとして失敗し、調整型の福田元首相は「強いリーダー」を求める国民の期待に応えることができずに退陣した。麻生氏が党総裁に選ばれたのは、候補者の中では、一番「キャラ」が立っており、印象が強かったからだろう。呪縛は、なお日本政治を覆っている。
'08.10.4.朝日新聞・東京大准教授・内山 融氏
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