散歩道<2557>
美術展・芸術と都市パリの100年展(1) (1)〜(2)続く
今年は日仏交流150年、京都市・パリ市姉妹都市盟約50年の年に当たりこの美術展が開かれたようだ。今から(1830-1930)の100年に焦点をあて、絵画、彫刻、写真、が展示され ている。この美術展は当時、活躍されていた数多くの画家の作品をエッフェル塔の建設の時期を中心に展示されている。また、白黒のエッフェル塔の基礎工事の段階から完成まで写された写真や当時の街の風景や家族の服装など、カラーの写真に見慣れている我々には時代を感じさせるものである。
街の大改革を指示したのはナポレオン3世(1808-1873)で、実施したのは県知事オスマンだ。上下水道の完備、橋の完備、演劇場(オペラ座.1875年)、美術館、博物館、大百貨店(1841)をつくり、セーヌ河遊歩道もつくった。大きくパリを変える契機になったものは、万国博である。その象徴的な建造物がエッフェル塔(1889・工期26カ月)である。今から120年前のパリの町に、300bの高さの鉄骨造り建築の塔、当時の技術の粋を結集してそれは作られた。ブローニュの森に昼の社交界である・競馬場を作り、夜の社交界・ムーランルージュで華やかなショーダンスが日夜繰り広げられ、社交界が活気ずく、そこに人が集まり、芸術家が集まるようになる。
これ(エッフェル塔)を作ることにパリ市民が燃えた、鉄道が通り、電気が通り、町に文化であふれることになった。電気のおかげで人類誕生以来ずっとまつわりついていた夜の暗い影からやっと解放された。その歓びは大変であったようだ。昼夜の生活が一変することになる。(社会の進歩と優雅な消費生活をパリ市民は、満喫することになる)。
一方、近代化する社会の進歩についていけない人達が、パリの街の周辺に集まるようになる、《近代都市のパリ、光と陰と紹介されている=パリ市庁舎の周辺には失業者がたむろするようになり、クレーブ(ストライキ)起こすようになった、その語源だそうだ》)。
また一方、その近代化の反動で街より自然の景色が残る田舎に住みたいという人も出てくる、そのような人たちがモンマルトルの丘に住居を構えるようになり、そこに芸術を愛する人たちが世界から集まるようにもなる。
多くの画家が輩出するパリは今の時代まで芸術の街であり続けている。
個人的に好きな絵は、モーリスユトリロの「コタン小路」、ウジェーヌ・シセリの「モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット」、オギュースト・ルノワールの「ニニ・ロペスの肖像」です。