散歩道<2531>
美術展・特別展 西国三十三所 ・・・・・・・・・・発想を変える
'08.9.9.奈良国立博物館で、私はこの特別展を美術展としてみることにした。ウイークではあるが多くの高齢者の男女、外国人の団体が所々で解説されたのを聞きながら、展示されている経典(恐らく今日来ているほとんどの日本人も分からないであろう)等を注意深く見ているのに興味を持って見ていた。観音菩薩の観音という意味は、人の音を耳をすまして聞くこと(音=発言など、どこかの政治家に聞かせてあげなくてはと思った?)や、花山法皇(960-1008)が集大成されこの行事は始まったという解説の文章には興味を持った。
数多くの仏頭を頭上に頂く像、何本もの手、頭が大変大きいもの、前かがみのもの、花や茶の極意をたしなむ池坊の流儀に引き継がれていくもの、理性や知恵を合一して持っている仏像など色々な形や姿が仏像にはあるのだと感心した。これらの像は、多くの地域にまたがって平安、鎌倉、室町、江戸時代から祭られている。全部を回っていなくても何ヶ所かに行った経験がある話が見学者から聞こえてくる。(中には手を合わせている人もいる)。
毘沙門天の甲冑には西洋の影響を感じつつみていた、(極度のある緊張がそこには、表現されていると解説されている)、日本人には像に向き合う時も、また日常生活にも緊張感*1を持って毎日を送っていたのだと思った。
菩薩像には透けた装束や長いつめ、全体像等から宋の影響をそこに見ることだができたし、顔立ちからその姿が合っていると思った。時代によって仏像にも西洋的な顔、中東的な顔、日本的な顔や衣装、台座など時代の変化とともに代ってきたのだということがわかる。
また,橘逸勢(-812)は嵯峨天皇、空海とともに三筆で(燈籠火袋羽目を作った人とある)。ひょっとして、散歩道<54>江戸時代の国文学者・橘曙覧(1812-68)の先祖か?、遠い親戚に当たる人なのかと考えたりしてみていた。
掛軸に著彩仏画と、後ろに描かれた水墨画により興味がある、いろいろと変化していく様子を感じていた。
霊験像には現代にも通じる、人たちの生活の匂いが感じられる(ご利益という意味で、いろいろとその祈る目的が分散化したのだろうと思った)。
霊所として四国88ヶ所、坂東33ヶ所、秩父33ヶ所、中世西国33ヶ所が写し霊所として、全国に広がっていったことが書かれている。このように*2分家や分所、模写等の発想が(精神と共に移り得る為・発想を変える)、広く世に広がるようになった背景が日本には、歴史的にあったのだと解説を読みながら見ていた。(宗教的なことは実のところよく分からない)。
関連記事:散歩道<207>音楽・*1日本人の緊張感、<312>新しい発見や認識、<1984>ペルシャ文明展、
備考:*2日本には模写の精神が歴史上にあった。
![]()