散歩道<2480> 
     
                      夏に語る・「経世済民」が原点 改革続けて(1)                   (1)〜(3)続く

 終戦は宮城県の海軍工廠(こうしょう)で迎えました。玉音放送を聴いて頭に浮かんだのはこれで学校に帰れるということだった。直前まで三沢で予科練の教官をしており、予科練の価値を終えた若者を戦地に送った。飛行機も燃料もなく、まったうな訓練もできなかったから「死んでこい」というようなものだった。戦争は国土や経済を破壊し、人の生までも無為に消費する。仲間の無念を今も思い出す。
 その後、経済安定本部で石炭を鉄鋼や電力部門に割り当てる計画を作ったり、経済白書を執筆したりしたのも夏。思えば米国・ドル基軸体性のほころびが始まったニクソンショックも1971年8月。戦後復興から高成長、日本経済が世界の主役になっていった軌跡と、「夏の思い出」が重なります。
 経済の道に進もうと思ったのは、旧制高校の授業で「経世済民
*1」という言葉を知ったから。経済というのは世の中を治め、人民の苦しみを救うことだと。いい言葉だと思った。出身の佐賀県は貧乏県。当時は石炭産地で、ヤマから出てきた坑夫たちは粗末な長屋で顔や服が真っ黒なまま焼酎をあおっている。一方、小高い丘には立派な経営者の家。そんな光景を見たり、河上肇の「貧乏物語」を読んだりして、変だなと感じた。失業や、金持ちと貧乏人を生む社会の制度から変えていかないと、という気持ちがありました。
 政策の現場はやりがいはありました、だがロマンチックな経世済民の学問とはほど遠い。やればやるほど難しいという思いです。直近でもサブプライム問題に象徴されるように、急膨張した金融経済が実体経済を振り回す。経済は日々変化するし、システムは複雑になるばかりだから、貧困や失業をなくし、生活を豊かにする経世済民の原点がわすれられがちです。

'08.8.16.朝日新聞・元経済企画庁長官・宮崎勇 

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