散歩道<2466>
美術展・第100回特別展・コレクションの精華
つたえたい美と歴史
今日2008年8月9日・神戸市立博物館・は土曜日であったが、 観客はほとんどいなかった。まず、 埴輪や絵のある銅鐸(紀元前2〜1世紀)等を見る、その音が器械で再現され、聞くこともできた。今から4〜500年前の多くの世界地図、日本地図(以下記述等)を見ることができた。
1、日本地図屏風(1600):北海道が描かれていない、
2、日本地図文大鏡(1661-73):行基図*1・志摩の地が海に浮かぶ
3、天竺之図(1749):インドがが大半を占める、上部右は中国、日本は九州と四国だけ描かれている。
4、北極中心世界地図(1837):見えない南極も画面に書かれている。
5、世界四大州図(18〜19世紀)・四十八カ国人物図屏風6曲1双、ヨーロッパは船(艦船)、アメリカは各種の動物、鹿や、七面鳥等、中央アジアは騎馬にのって戦争している兵士の様子、中国は官僚・文化・漢詩、南国は肌色の黒い人々が描かれている。
6、南蛮屏風(16〜17世紀)6曲1双、南蛮人の姿が当時大変話題になったことは想像できる。
7、南蛮貿易での、オランダ人、朝鮮通信使来朝図(1748)での通信士の一行の人達:これらの人たちに関心を持っていたのは、時の将軍(当時の特別な人)たちと、道中の民衆である。興味新進で彼らを快く迎えたと以前の美術展の報告で書いた。他の一般の人達は、従来の書籍、文物から想像されるもの以外にはなかった。それが当時の価値観である。
8、伊能小図(1821)・西日本:すごく詳細に亘って描かれた地図である。
9、フランシスコザビエル(1506-1552)、日本にキリスト教を伝えた宣教師、この額が発見されたのは大正時代と記されている。シーボルト(1796-1866)事件等日本国内の情報が海外に流れることを恐れた時の政府が強い弾圧でそれを禁じたことが分る。その為当時の日本地図や、絵画、記録等は特別秘密に長い間隠されていたのだと思う。また、司馬遼太郎さんの本に出てくる高田屋嘉平衛(1812)の書状には、彼がロシアとの交易に大変努力している様子が記されている。
10、自分の生い立ちを示す家系図(商家)を、巻物として残しておきたいと考えた人たちがいたのは今の時代と同じである。
11、織田信長像(1583):織田信長1周忌に描かれた人物像のようだ。
12、南蛮貿易が途絶えた後、花鳥風月図の絵画は、中国や朝鮮のものが復活したと思れる。今回の展示類は日頃は、見ることができないものだそうです。
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