散歩道<2462>a

                           講演会・
くらしの伝統とまちづくり(1)         (1)〜(2)続く     自分流に纏めました。

 先生の講演は洛中・洛外屏風*1に描かれた建物から、京都庶民の生活を色々な角度から探る実に詳細な研究の報告であった。講演の内容を自分流に纏めた。屏風が描かれた、安土・桃山時代Aを中心に、それ以前@、それ以降Aと区別した。(それ以前の時代・平安・鎌倉・戦国@、安土・桃山時代A、それ以降の時代、江戸時代B、明治時代C、それ以降D)

1、屏風に描かれた京都は戦国時代のエコ社会であった。平和で、自由で、開放的で、公共の便所、井戸、洗濯台がある家が道の真ん中にあった、地域共同体である。家には床几、竃(かまど)を見ることができる。(日本では、町で集められた人糞を、肥料として菜園に使う、(循環社会の創出がなされた)エコ社会であったともいえる。(フロイス)        
2、茶屋が、鴨川沿いの道に立ち並んでいた。(日本の茶屋
(喫茶店)は、開放的で、小屋のなかには椅子も置かれていたのである。ここで町のコミュニティができ、生活空間の市民文化が出来あがった。それに比し、世界のコーフィーハウスは閉鎖的でホールになっており、座敷のような上に、椅子も置かれている。
3、下町の町衆が、市中の、家の奥に生業と居住の空間に次元の異なる数奇の空間を付け加え、都市民衆生きる空間を多彩にするため茶屋を作った、それは、貴族の書院の茶
(いろり座敷)の流れとは違うものである。シチュウノサンキョ(市中の山居・辻広場の中に見いだされる孤独の閑寂の場所)といわれる、戦国期の高度な生活空間で、その構えは、安全な都市空間創出をしたことになる。

'08.8.2.京都大学教授・高橋康夫氏

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