散歩道<244>
なぜアレクサンドロス大王だけが!(3) とことん話合(激論) (1)〜(3)続く
1、なぜアレクサンドロス大王だけが、うまく東方への遠征に成功したか?、彼が優秀な軍人であり優秀な戦略家あったのはその通りであろう。軍隊も当時としては実に革命的(ファランクス戦法・重装騎士団)な方法で戦をしたようである。元々ギリシャ(マケドニア)はLOG(備考*1)の国と言われているように、激論(話し合いをする)し、理解を得ることは、今風に言うDNAのようなものであった。統治に関しても、激論する特質は活かされたようだ。マケドニア人が仏教に接した時、その違いに気付いた。 その為、何日間に渡ってキリスト教と仏教の違いについて徹底的に激論された(「ミリンダ王の問い」備考*2)(相手に対しては教えを乞うような態度であったといわれている)。ガンダーラにきて、仏教に接し、彼等は神殿と偶像を持たないこの宗教が不満だった。こうしたインド・ギリシャの末裔の工匠と、クッシャン朝の支配層の欲求が一致して、やがて工芸家は競って仏像を刻み建築家は壮麗な寺院を築いた。
2、勿論、戦争当事国の相手側が、ギリシャ文化を積極的に受け入れようとした国もあったようだが、アレクサンドロス大王も戦争をし、打ち負かした相手国のペルシャ中央アジアの貴族を次々に要職に登用したり、マケドリア人、ペルシャ人を同権を強化し、相手側の娘様と結婚したり、大王も寛容の精神を持っていた。又、相手国の軍隊を現地調達により、新たに自分の軍隊の中に編成したように、それぞれの土地を、その地方出身の兵士で守ることが、世界帝国の形成にとって最も重要なことと、大王は考えていた。相手国の制度や儀式を積極的に取り入れようと(跪拝の礼、備考*3)したこと等。しかし、マケドリア人は大王の考えを理解した人はあまりいなかったようだ。
備考*1:LOG:議論というよりもこの場合は激論であったようだ。言葉、話合等。腕力や、力に対する言葉として使用される。
備考*2:ミリンダ王の問い:BC2後半,西印度を支配したギリシャの国王・メナンドス(ギリシャ思想)と仏教の論師ナーガセーナ長老の問答を記した書。問答の激しさにおいてはまさに全身の格闘技だそうです。(塩野様の本から参考)
備考*3:跪拝の礼(プロスキュネシス):ペルシャ風の挨拶、王の前でひざまずいて敬礼する事。 上記の考えは私の意見です。
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備考:この項目は自衛隊がイラクへ派遣されるという話を聞いた日、どうしても少しの参考になるかと、書き残しておきたかったものです。