散歩道<2297>
夕陽妄語(3)・漢字文化讃 (1)〜(3)続く
○ ○ 私は昨年(2007)夏から冬にかけて一海知義氏編註『漢詩一日一首』(平凡社ライブラリー)という本を読んだ。唐栄の諸家の詩を主として四季に分けた三百数十首。その初版はおよそ30年ほど前で、その頃私は日本国にいなかった。今私は東京に住んで、同じ本を春夏秋冬の文庫本四冊分として出るたびに著者から恵贈された。そこで一冊を見終えると待ち受けた次の分冊を読めることになった。そして全四冊を読み終わったとき、振り返ってみて、その三百数十首のなかに、「神」に触れた詩が一篇(ぺん)もなく、宗教に係(かか)わる語さえもほとんどないことに気がついて、今さらながら愕然(がくぜん)とした例外は冬の巻189n、「因縁」が仏語)。
「神」とは、ここで道教の大衆的な神、仏教の神、キリスト教やイスラム教の超越的な人格神などを含む。そのどういう神もここにはいない。そういうことは、おそらく、編者の趣味の問題ではない。また超越的な人格神の不在は、必ずしも社会史的にみて、東アジア社会の弱点ではないだろう。
中国古代のいきなり世俗的な世界観は、次第にキリスト教を離れようとしている人間社会に、何らかの根源的な寄与をなし得るのかもしれない。その可能性はバラ色ではない。しかし灰色ではない。東北アジアには神のいない社会秩序の一つの典型があり、それこそが「希望」であるかもしれない。
'08.3.22.朝日新聞・評論家・加藤周一氏
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