散歩道<2263>
講演会・世界地図に日本像はどのように認識されたか(3) (1)〜(3)続く
「行基図」の「神国」表象化、 → 仏教における「現世の浄土」
○元寇 → 「称名寺蔵日本図」
○中世*4、行基図形を独鈷*1(どっこ)とみなした。
○密教的国士観への転化。大日如来とアマテラスの習合(折衷)による「神国」の地図的表象化。
○「おおやまと」から「大日の本国」への転化。
慶長日本総図との比較(16〜17世紀初頭) 幕府撰慶長日本総図 (江戸時代に幕府の指示で日本全国一斉の調査が行われたより詳しい地図が出来た)。
「行基図」は、仏教的日本観と仏教的世界観の中で、最初は、魂を売ることは出来ないという考えがあった。しかし、西洋からもたらされた世界地図が日本で保管されている地図と余り変わらないことに気付くようになり、宗教的な存在価値がなくなる。
備考1、独鈷*1(どっこ)形が仏具の用具ににて長細い用具
備考2、一方、モンゴル帝国には世界地図の中にアメリカが含まれているものもある。
備考3、九州が描かれていないもの、四国が大変詳しく描かれているもの、南北が逆に描かれているものが多い、また、北海道は地図には描かれていない
備考4、中世*4:日本では鎌倉(1183-1333)、室町時代(1336-1573)。西洋では5〜15世紀中まで、
'08.3.13.国際日本文化研究センター教授・千田稔氏
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