散歩道<2262>
講演会・世界地図に日本像はどのように認識されたか(2) (1)〜(3)続く
日本がどのように見られていたかという話を聞く機会であった、よく理解できているわけではないが、自分なりにまとめてみた。
福島家蔵 世界図・日本図屏風 四曲一双
浄得寺(福井)、 桃山時代 桃山時代には[行儀図]が少しずつ変わってきている。
発心寺(小浜)、 江戸初期、
バリニヤーノ(イエズス会巡察師)、1579年日本に上陸、1590年来日、モレーラ浄得寺、1590、バリニヤーノと同道したモレーラが「行基図」をもとに新しい日本図を作成、1590 バリニヤーノ1598年来日、 日本図の渡欧
行基図回流:遣欧使節団とバリニヤーノが行基図持参 1585 行基図のポルトガル語版成立、1585
オルテリウス/テイセラ、1595 今の日本地図に近い、
河盛家本、南蛮文化舘本、浄得寺本 南蛮貿易の影響で日本を知るようになる 今の日本地図に近い、
世界図・日本図屏風六曲一双 朱印船貿易、南蛮貿易の影響で日本を知るようになる 個人蔵 今の日本地図に近い、
備考1、独鈷(どっこ)*1形が仏具の用具ににて長細いもの
備考2、一方、モンゴル帝国には世界地図の中にアメリカが含まれているものもある。
備考3、九州が描かれていないもの、四国が大変詳しく描かれているもの、南北が逆に描かれているものが多い、また、北海道は地図には描かれていない
備考4、中世*4:日本では鎌倉(1183-1333)、室町時代(1336-1573)。西洋では5〜15世紀中まで、
'08.3.13.国際日本文化研究センター教授・千田稔氏
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