散歩道<2261>
講演会・世界地図に日本像はどのように認識されたか(1) (1)〜(3)続く
日本がどのように見られていたかという話を聞く機会であった、よく理解できているわけではないが、自分なりにまとめてみた。
今日の講演会では、行基(ぎょうぎ)(668-749)薬師寺之寺師位僧が作った地図『大日本国正統図(「行基図」)』が、14〜17世紀頃まで日本国内及び海外でどのように見られ(扱われ)、その影響についての講演会であった。(備考:大日本国正統図は、本当の呼び名は、大日と本国正統図と読むそうだ) (伊能忠敬(1745-1818)が日本地図を作る以前の話です。以下は、それ以前に在った日本地図と関連事項です。)
延暦24年興地図(写本)、805
仁和寺蔵日本図(写本)、1305
『捨芥抄』行基図・大日本国図・唐招提寺本
混一彊理歴代国都之図、1402
鄭舜功『日本一鑑』日本行基図、1565
フィレンツェ行基図、 1585 西洋では1582年遣欧使節らが持参した?。「行基図」を参考に日本地図が作られた。
ミュンスター『新世界地図』、 1550 日本は太平洋のアメリカの側に位置し、縦細型である。
ガスタルディ新世界図 、1550? Giapamと記述されている。
オルテリウス「アジア全図」、東インド図、アジア図、タルタリア図、1570 日本は同じに描かれていない、
ラングレ・アムステルダム東アジア図「東方案内記所載」、1596 九州、四国が描かれている、紀伊半島がやけに大きく描かれている。
備考1、独鈷*1(どっこ)形が仏具の用具ににて長細い用具
備考2、一方、モンゴル帝国には世界地図の中にアメリカが含まれているものもある。
備考3、九州が描かれていないもの、四国が大変詳しく描かれているもの、南北が逆に描かれているものが多い、また、北海道は地図には描かれていない
備考4、中世*4:日本では鎌倉(1183-1333)、室町時代(1336-1573)。西洋では5〜15世紀中まで、
'08.3.13.国際日本文化研究センター教授・千田稔氏
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