散歩道<2243>
                             面白い話(181)・けち・ヤジ馬

かたえくぼ:ひな壇:今年が最後のような気がする・・・・・・・・・・・閣僚(モルさん) 
                       

                              これはあやしい「けち」                        

 ある日、京の都に住むさる貴人が気晴らしに街に出かけた。するとどうだろう。不思議な格好をした、あやしげな人間どもが、あちこちにうろうろしているではないか。宮廷で暮らして世情に疎い貴人のこと、これらごくふだんの庶民の姿を見て、「これは怪事(けじ)だ」と、早々に屋敷に逃げ帰った。この”怪事”、文字どおりあやしいことをいい、不思議なものを前にして、驚き、興味を感ずる様を表している。これから、粗末なもの、卑しいものを指すようになり、「りんしょく」な人間のことを怪事と呼ぶようになったという。これが「けち」の語源だというのだが、今の時代ではこの説、いささかあやしげではある。樋口清之さん

                         親父馬は、つねに子馬の後を追いかける「ヤジ馬」

 牧場などに行くと、子馬がいつも前を走り、親馬が子馬を見守るように後を追いかけるほほえましい光景を見掛ける。この親馬こそ、じつをいえば、「火事と喧嘩」が飯より好きな「「ヤジ馬」の元祖なのである。『俚諺集覧』
(りげんしゅうらん)という古書をひもとくと、「やじ。親父をヤジという。此はオヤジのオを省くなり」という文句に出くわす。つまり、子馬の後を追う親馬と親父馬のことで、このことから、火事と聞けば、他人のあとについてわけもなく騒ぐ人を「やじ馬」というようになったというわけだ。近ごろは、隣の息子が東大を受けると聞けば、うちの息子も東大をという教育パパを、ヤジ馬という?
樋口清之さん

                                神の食事のおすそ分け「土産」
 
昔の人は、神社詣(もう)での旅をよくしたという。こんなとき、誰もが行けるわけではないから、旅に出た者は、詣(もう)でた寺社の神の恩恵を、自分の親戚縁者たちに分け与えるための品を持ち帰らねばならなかった。この品が「みやげ」である。もとは、宮笥(みやげ)(神の食器)といった。旅先の神社で神にささげたものを持ち帰り、郷に残った人にも、神の食事のおすそわけをしようというのが、「みやげ」の最も原始的な形だという。それが次第に、その土地の産物を買って返るようになり、「土産」(みやげ)の字が当てられるようになったという。こうして、「みやげ」の品は変わったが、持ち帰る人の気持ちは今も昔も変わらないようである。樋口清之さん
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