散歩道<2240>
文章・並木路子の「リンゴの歌」・「鐘の鳴る丘」の放送開始
「リンゴの気持ちはよくわかる」・「並木路子の「リンゴの歌」1945(昭和20年)
1、この歌が戦争末期に作られたことを知る人は少ない。1945(昭和20)7月ごろ、空襲下に詩人サトウハチロウー、作曲家の万城目正らが集まって、「やりきれない暗さに少し明るい歌を」と相談の結果、やっと出来上がった。とたんに終戦になってしまった。しかし、この企画はそのまま松竹映画「そよかぜ」の主題歌になって生きかえった。映画が封切られたのが10月11日。「リンゴはなんにもいわないえれど リンゴの気持ちはよくわかる・・・・ 区に敗れて、瓦礫に廃墟と化した国土。その上に36年ぶりの凶作で、人びとはさつま芋のしっぽで飢えをしのいでいた。そこに流れた歌である。原色がまぶしいような、はずむリズム。わかりやすい詩。細くかわいい並木路子の歌声は、明日をどう生きればいいかと、疲れきった人たちの心の奥底にしみこんだ。日本人は敗戦のみじめさの中に、この歌によって明るい表情をとり戻した。半藤一利さん
散歩道<1937>歌だけが明るかった「隣組」、半藤さんの話は<638>〜<642>にあります。
「緑の丘の赤い屋根」・「鐘の鳴る丘」の放送開始」1947(昭和22年)
2、NHKのあらゆる番組がGHQの指令で、15分単位のワクに縛られるようになったのが、1947(昭和22)年7月からである。7月5日からはじまった菊田一夫の放送劇「鐘の鳴る丘」も、もちろん、このワクに縛られた。規定の分秒から1秒はみだしたら、番組の担当ディレクターは馘首(かく)されなければならない、との強硬な指令がきている。このため、規定どおり14分30秒の原稿を書くために、「約束の半年間、骨身を削る努力でした」と菊田は語るが、放浪児をテーマにしたこの劇は「緑の丘の赤い屋根」の歌とともに大評判となる。劇も終わりに近づいたある日、菊田はGHQによばれ、係官に「あと数年間、あるいは無限に継続するよう」申し渡された。菊田はこれ以上はと拒否した。これを聞くと係官はびっくりしてつぶやいた。「何を言っているのか。こんなに当たっている泣かせる連続物を、このまま終結させてしまうとは、ユーはクレイジである」半藤一利さん