散歩道<224>
暗号を読む・歴史は微笑まず
朝日新聞'02.5.9.に高い日本の暗号解読力「日米開戦時の外交文書にみる」(蓑原神戸大助教授)という記事がある。'41.11.26.の日本政府に提出された米国政府の書簡(ハル・ノート)への東郷外相回想である。東郷外相が米国との衝突回避を唯一の目的として入閣し、外務省の強硬派を一掃するなど、誠心誠意、和平に尽力した外相の深い失意と怒りが露骨に表れていると回想されている。日米交渉の開始から掲げていた原則論を米国は繰り返し述べているだけだった。日本にとって大幅な譲歩である乙案を必死の思いで東条英機首相に呑ませた東郷外相にすれば、同案の言及が全くない頑なな態度には落胆せざるを得なかった。その当時の背景は日中戦争で多大の損害をこうむっていた陸軍に、中国から撤兵を要求する(ハル・ノート)は到底容認できるものではなかった。これに対抗し得る武器があった。辞職という最後の切り札である、政変を起こせば強硬派の新外相を迎え入れるか、もしくは東条首相が兼任する手続きを取るまでの間、貴重な時間の浪費となり、真珠湾奇襲攻撃作戦にも重大な支障をきたす。無論、政変によって戦争を本当に回避出来たかどうかは大いに議論の余地はある。しかし、ここで肝心なのは、東郷外相が戦争内閣に残り太平洋戦争に突入したと言う歴史的な事実である。当時の日本の解読技術は、欧米に愕然とするほど稚拙なものであったというのが定説であった。しかし外交暗号解読技術が英米と比較しても遜色なく、米国の対日融和案の内容を事前に把握していた事実である。米国が一時検討した「暫定協定案(modus vivendi)」は原則論に固守する従来の米国の態度を軟化させ、日本の乙案に対して大きく歩みよるものであった。東郷外相がそれを知った時、日米交渉の妥結を予感し、きっと、希望を大きく膨らませたことだろう。実際米国から譲歩案が示されればすべての軍事作戦を中止し、対案を出して日米交渉を継続させるという確約を東条首相より得ていた。しかし、歴史の女神は微笑んではくれなかった、駐米大使に提出された(ハル・ノート)は「暫定協定」の影も形もなく、東郷外相の期待は打ち砕かれた。これを読んだ東郷外相は米国は日本との戦争をすでに決意したと判断した。そうして'41.12.8.太平洋戦争は始まるのである。
ここでの興味は暗号を解読をしていなかったら別の対応があったと思われる。ただ、米国がもう少し譲歩案を検討し、提出したなら、ひょっとして、この戦争は別の形であったか?なかったか?歴史の事実に興味を膨らませるものである。
('04.7.28.NHK.そのとき歴史は動いた「日米開戦を回避せよ」でこの報道が取り上げられていた。)
'02.5.9.朝日新聞・神戸大助教授・蓑原氏