散歩道<2188>

   ボランティアの義務化(2)・入り口は強制だっていい                     (1)〜(3)続く

  幼児期の教育と、新しく始めることの基礎を学ぶときは「強制」の形を取ることが多い。挨拶すること、朝起きたら顔を洗うこと、6歳の4月から学校へ行くのも全部強制といえる。だが、いつまでも強制する必要はない。自発性が目覚めて、続けるかあきらめるかを判断できるようになったら、自分できめればいい。強制で奉仕を体験して、いやになる場合も少なくないだろう。多くの子供は、最初は水が嫌いだ。でも、無理に水に入れられて泳げるようになることがあるように、奉仕活動を「案外面白い」と思えば、人に与えることの素晴らしさを知り、一生続けるかもしれない。美意識として奉仕を選ぶかどうかだと思う。自分がどう生き、どんな職業につけばいいかを考えることにもつながる。つらさや不自由さも体験する。松下政経塾では、夜通し100キロ歩く訓練がある。歩けた自信が精神面や災害など物理的な困難に直面したときに生きる。それは魂と行動の自由も広げる。6年前、私が教育改革国民会議で奉仕の義務化を提案したときは、18歳から1年間ぐらいやるべきだと思っていた。でも、期間や時期など、現実的、各論的なことは教育現場の方できめればいい。義務化を提唱した理由の8割はこれまでに述べた精神面からだが、残りの2割には、今後マンパワーを輸入しない限り、高齢者の介護に人手が足りなくなるという現実問題もある。若者が1年のうちのいくらかを高齢者のために割いたら手助けになるのではないか。現実的な問題への対応も奉仕の目的にしてもいい。
 

’06.12.1.朝日新聞・作家・曽野綾子さん 

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