散歩道<2187>

ボランティアの義務化(1)・入り口は強制だっていい  ・・・・・・  提言・高齢者のボランティア       ・・・・・・・・ 教育、発想        (1)〜(3)続く

 厳密には、ボランティアはボランタリーが語源で望んでやるものだが、外国でも実際には子供たちが勝手にやるわけではい。先生や教会、地域の夫人などが組織をつくり、そこに参加する。ボランティアか、奉仕かといった言葉にはあまりひっかからない方がいい。外国の実態を知っているとボランティアも奉仕もあまり違わない。奉仕とは与えること。戦後の日本教育は、受けるばかりで、人に与えることを教えてこなかった。おむつを換えてもらい、ミルクを飲ませてもらい、ランドセルを買ってもらう。与えられているだけの間は、子供の心理が続く。もっと何かしてもらえないか、もっとものをもらえないかと、永遠の飢餓状態といえる。人間は与えることが出来て初めて大人になれる。でも、子供たちに自発的な奉仕活動を求めるのは難しい。だから体験の場を用意するのは大人の任務だと思う。
 

’06.12.1.朝日新聞・作家・曽野綾子さん 

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備考:高齢者のボランティアについての提言です。多くの65歳以上の高齢者は、ただ仕事が”生き甲斐のためにしたい”と言う人が多いが、正規従業員と殆ど代わらないぐらいに給与だけは受け取っているのが現状のようだ。彼らには、必要な金額は正規社員の精々3割ぐらいと交通費で十分であろう。その分、若者に仕事を与えべきである。その施設は、労働・保険局であったり、県や市の公的な駐車場管理だったり、郵政局の業務であったりで、今得ている仕事自身は、以前の職場から特別な配慮により得たものと思われる。彼らには、必要なのは金ではないように思う。給与は一気に減額し、その差額で若者を出来るだけ多く採用すべきである。これが私の提言です。2012年9月13日