散歩道<2131>
文章・1、「ただ実行あるのみ」・2.「公のためにやる」
●農地改革の荒治療('45,昭和20年) 戦争に完敗、占領軍によって徹底的に、あらゆることが改革された。中には我慢ならない改悪もあったが、素晴らしい改正そして改善もあった。その一つに旧来の地主的な土地所有や、それに伴う地主・小作人の封建的な関係が一掃されたことが挙げられる。とにかく小作地の81%に当たる187万ヘクタールの耕地が解放された、のであるからすごい。占領下でGHQの目が光っていたから出来た大改革で、世界史上でもこんな荒治療の完成は珍らしい。この、いわゆる農地改革は第一次と第二次の二段階にわかれて実行された。第一次は日本政府の自主的改革であったが、どちらかいといえば不徹底。これをみて強い不満を感じたGHQが1945(昭和20年)12月9日、「農地改革についての覚書」を政府につき付けた。「ただ実行あるのみ」と。反対のしようもない強制でである。かくて日本の農村封建社会はひっくり返った。戦争の民主日本は、あえていえば、ここから第一歩を踏み出したのである。半藤一利氏
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備考:四大財閥ほど問題になっていないが、当時の地主でこの影響を受けた人が全国では、かなりいたはずです、このことが全国の民主化に拍車がかかったと思われる。
2、「公のためにやる」
●松下幸之助の死に号外('89,昭和64年) 「それが正しいことである場合には、やりにくいことであっても、断固としてやりぬかねばならん。それが経営者というものです。やりぬく勇気を出す一つの方法がある。それは、自分の感情でやるんじゃない、公のためにやる、そういう立場に立つことですわ」松下幸之助から直接この言葉を聴いたことがある。とくに組織の人事配置の場合にはこれを胸に銘記しておくこと、とニコニコしながら言った。「それにつけても、今日の日本の姿、政治でも何でも、やりにくいことを全部避けてしまう傾向が強いですな」とも言って、目をキラリとさせた。小学校を中退、丁稚奉公、そしてわずか四畳半の作業所からはじめた自分の仕事を、二股ソケットというヒット商品を発明するなどして、ついに「世界のマツシタ」にまで築き上げた人の言葉。重みがずしりとあった。1989年4月27日、この人が死んで、大阪には”神様”の訃報を伝える号外が舞った。かってないことである。半藤一利氏
備考:'08.10.から松下、ナショナルの名前はPANASONICに代わる。