散歩道<207>
音の文化(3)・音楽 (4)次に続く
写真はロンドン・パッキンガム宮殿、街で印象に残ったものはタワーブリッジ、ライオンの像、若い人の姿、道路脇に飾られた日本のスポーツカー・スープラー
日本人は聴覚は視覚よりも強い、鑑賞するのは姿よりも声である。インドとかインドネシアが日本よりも音楽に関しては理論的である。抽象的なもの数学や純粋に思弁的な哲学には日本人は弱い。日本人の声のふるわせ方は蒙古人に一番近い。日本人の破裂音というか旋律の始まりがポーンと出てくるときの喜びなんか独特のものがある。一番大切なのは胸のなかに調子の張りを持っている。その次は機、タイミング、その後が声です。日本人は緊張感を持つ、緊張感にあふれる音楽はいい、持つていないと、くだらない音楽と思っている。1、2、3、4、と数える時に1は強拍ではない。いつも2が強拍なんです。1は予備なんです。1、3が弱く、2があって4が一番強いわけです。4が一番重要です。5、6、7、8のとき大ゴングが鳴る、段々準備があって最後に初めてまとまってドーンとなる。
東南アジア(ビルマ、タイ、ラオス、インドネシア等)は共通しています、人をいきなりおどかすようなことは絶対にしない。日本人はいきなり緊張させ、音もない空白の中に充実感がある。音の頭に常に力があって、はじめの音にだけ破裂的な効果を求めているのは日本の特色のようだ。実際に予告はあるがそれは沈黙の部分で日本人は音を聞いているのではなく沈黙を聞いているのである。
寡黙的な人は徳のある人だというように考える日本人は非常に口べたで社交へた、ちゃんとした挨拶ができない。それは音楽と関係がある。
日本では音楽自体、宴会の音楽です。宴会は社交です、文字というものが日本では社交の中で出てきた。和歌もそう、連歌なども人が集まらなければできない芸術だ、その極地みたいなのが茶の湯です。
それは社交そのものを芸としてしまう。室町の生み出した日本文化はお座敷にしろ、四条流の包丁道にせよ、床の間にせよ、小笠原流のお作法にしろそれは人をもてなすための文化です
(小泉文夫様、山崎正和様の本参考)
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