散歩道<206>

                                子供の教育(一言)
             最近小・中学生の事件が何件か報じられているが、この問題で考えていることを話してみたい。

 これらの事件に共通しているのは親とのかかわりが報じられているが、親が子供に関心をほとんど示さなかった、この子供等の学校の成績はどちらかいうと上位であったということである。
 自分の経験
(昔の話で悪いが)から言うと社会や、理科、図工が思考力の(何かを考えるという勉強に比較し、英語や数学は記憶力が評価されるものであるように思う。
 子供が勉強に関し、親に教えを請うというようには、小学校低学年でも考えにくい。
親に期待しているのは、これから生きていく方法や将来に出くわすであろう壁や問題に、どのような考えで望むべきかを教えを請いたいと考えているのだと思う。
 子供は何歳になってもこの事実を覚えているものだ。
(この意味は大きいと思う)そこでは、親として自分の本当の考え方を言うべきで、その時点で(その時点で、参考になろうと、例えならなくても)きっと役立っはずである。
 子供は親の背中を見て育つと、よくいわれているが、子供の相談にのってやれない程、忙しければ
(そのようにしなければならない社会の厳しさをそこで感じることになり)、子供にはその意味を肌で知る事になる。そのことから父の姿をそこに見ることが出来る。
 親にとっても、最近の世の中の動きや、特にパソコンやインターネット等
(これは外国で発明されたが為に、また、これらのものを世界の人に販売する必要があって、そのよう国用に難しく翻訳されている為、難しいのも事実であろう)
情報社会に関して解かり難いことが多いことも事実であろう。
 後者の問題は学校と子供や、子供同士の問題で親と子供との問題ではない。むしろ、情報社会等によって起こる社会の変化等を大人なりに話してくれることを子供が親に期待してことだと思う。
 子供に関心
を示さないのではなく、示すべきである。そうしない親には責任があると、この場合は判断されても仕方がない。(これは私の考え念の為)

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