散歩道<2045>
異見新語・若さ・地方と政治(2) (1)〜(3)続く
現実感取り込む努力もて
そのような若者は社会に出た後、多様な価値観や感情に対する耐性が低いため、大人が予想できないナイーブ(純朴)すぎる反応をしてしまう。その結果、早々と辞めてしまうのではないか。
一企業にすぎないバイト先を「社会そのもの」と受け止めてしまう者がいる。だが「会社イコール社会」ではない。社会とはもっと多様なものだ。こんな単純な事実を思い知るために、あと数年の社会経験が必要になっているのかもしれない。
安倍氏や若者のナイーブさを批判することはたやすい。だが大人の側も、ガードを固くして他人の悪意を遮断しようとして、空気を読みすぎ自分を失ったり、逆に自分にこだわりすぎて空気が読めなくなったりしているのではないか。また、その反動もあって、安心して感情を表出し合える人間関係が存在する(とされる)時代や場に対する、郷愁めいた気分に多くの人がかきたてられている。
その気分は、時に大都会ではない土地、つまり「地方」に向けられる。私が学生たちを教えている九州・福岡も「地方」でくくられよう。一方でこの地は現在、きわめて文学的なトポス(場所)となっている。この数年の間に登場し注目された小説だけ見ても、村上龍「半島を出よ」、吉田修一「悪人」、絲山(いとやま)秋子「逃亡くそたわけ」などが挙げられる。
しかし、読めばわかるように、どの作品も従来の地方イメージを内から食い破るものだ。私がこれに注目するのは、特に吉田氏に見られるように、<人間が抱える善意や悪意をいかに扱うか>という問いが、地方という場のリアルな感触でもって、巧みに提示されているからである。善意と悪意を併(あわ)せ持って「普通の人間」が生活を営んでいる地方の現実は、他所(よそ)から勝手に思い描かれているものであるとは限らない。
'07.9.22.朝日新聞・西南学院准教授・田村 元彦氏