散歩道<1997>

                                講演会・生への存在(1)                (1)〜(2)続く

「生への存在」は和辻哲郎の「死への存在」に対比したものである。人間は死によって終わるものではなく、他者・環境との「構造的契機」(風土性)において存在し続けるという考え方だ、今日の状況を未来に向けて開くのである.この講演は私には難しかったが、自分流にまとめてみた。

 「生への存在」は和辻哲郎氏の「死への存在」に対比したものである。宗教*1にはあの世、この世という考えがある。宗教はそれを結ぶものである。(ラテン語では宗教とはあの世、この世を結びつけるものという意味があるそうだ)。人間死体を埋めるようになったのは9万年前からだそうだ。(パレスチナ、イスラエル)
 人間とはなにか。人:個人的なもの、  間:社会的次元のもの、名前、業績、社会的次元等。風土性:個人の持つ人生的な意味に近い。
(ハイデガーの「存在と時間」によって影響を受けた考え。)
 近代的社会が出来て、個人の意識の虐待が行われるようになった。実証哲学では、個体と個体の関係が
無視されてきた。人には相手、場の存在 が必要なのです。=(人間同士を結びつけるものが必要なのです)。 
 宗教は形象上学的(像・イメージ)であり、一方、科学は同一性論理を求めるものです。「現象学:(行動と言葉)関係性は存在している」。
 人類発生論:人類は発達し外に出るようになってきた。『1、人間は世界を作る(広げる)動物です。2、人間は(生態技術的体系)の中で生きてきた。3、人間は風物進退論(風景、環境)の中で生きる』。
 

'07.9.18.講演・フランス国立社会科学高等研究院教授・オギュスタン ベルク氏

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