散歩道<1995>
講演会・李御寧氏「”絞”からの脱出は可能か・・富永仲基の研究法の視点から・・」
町人学者・富永仲基の独創的方法論に照らして今までの日本文化研究の問題点を探ってみる。(1.縮み志向の日本人、2.記号論的テキスト読み、3.セレンデビリティ*1の探索) これからの日本文化研究のあり方と新しい方法のパラダイムがいかなるものかを考えるというタイトルのため、私には難しすぎたが、配布された資料を自分なりにまとめてた。
*国民性を基にした文化比較論 今の日本人論の原型 (”国に俗あり”)
*インドを”幻”、中国を”文”、日本を”絞”(質)の 文字で表す文化論、 日本の学問研究における縮(ちじ)み志向。
*富永自身が三国の俗をただ 文字で要約して表すその技と態度がまさに”絞”である。
*中国の誇張と飾りの”文”に対するコンセプトとして”絞”は”質”、インドの仏教的非現実の”幻”に対しては”実”になる
富永仲基氏は神道を批判する時には・”絞”を”隠”すものと”秘”にするものとして批判した。
*”誠の道”つくり:文化の相対性と普遍性の両脇にたって儒仏神三教を乗り越える、再統合論。渡辺の翁という架空の人物の手記を仲基氏が解説し顕彰するという体裁をとっている。そしてその中で仲基は、自らの学問方法、三教批判(仏、神、儒)の概要を簡潔に説明しつつ、儒仏神の既成の道とは異なる「誠の道」を説いていく。
*加上の説:全ての教説と宗派はみなオリジナルなテキストに自節を加えたものと捉えていくテキスト理論(文献学、解読と検証の法則として使われた。現代のIntertextuality(織り合わせ)のコンセプトを先とりしたものではあるが、それを生かすことよりはネガティブなものとして否定。小乗仏教がまずあって、後にそれに加上して大乗が説き出され、その後に諸派の説が次々と加上していったと批判した。
*加上の説を化粧術と料理術に例えると”絞”はそれに付け加えたものをすべて取り除いた素顔であり生の刺身である。言葉(レトリック)の表面的特性に限らず、文化全般のパラダイム(範例、実例)を変える心(「直情」)である
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'07.9.18.・韓国初代文化大臣/梨花学術院名誉碩座教授・李御寧氏
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