散歩道<1979>

                          世相(31)・1、木炭バス・2、低俗番組氾濫

1、急な坂は登れない・木炭バス('38、昭和13年)
  昭和13年5月1日、重要産業統制令が改正実施されて、自動車のガソリン切符配給制になると、「ガソリン一滴は血の一滴」「赤心燃やして燃料節約」のスローガンにそって、街を木炭車(木炭自動車)が走り出した。これは従来の自動車に木炭発生装置を取り付けるだけで簡単に改造でき、7月には東京の青バス(私バス)も改造を始めた。木炭車が増えてくると、今度は木炭消費量が急増し、翌年には木炭不足をまねいたが、やがて木炭の代わりに薪を使うようになった。木炭車は当然ながらガソリン車よりも力がなかった。エンジンがかかりにくく、スタートは遅いし、スピードも上らないところから「グズ」「のろま」の代名詞として流行した。ちょっと急な坂道にさしかかると、乗客が降りて後押しする。皆に馬鹿にされながらも木炭バスは、暗い記憶ばかりの戦時中に、どこかユーモラスで親しみやすい思い出を伝えている。半藤一利氏

関連記事:散歩道<66>-3、メキシコ・昭和20年代の現役の車、


2、低俗番組氾濫・一億総白痴化('57、昭和32年)
  「私が放送、ことにテレビを指して一億総白痴化と書いたのは、たしか三十二年のはじめ、東京新聞の紙上だったと思う」<大宅壮一全集三巻『一億総白痴化命名始末記』33年4月>と大宅壮一は書き残している。それを頼りに国会図書館で東京新聞のマイクロフイルム版を繰っていたら昭和32年1月27日夕刊のコラムに「放射線」欄に、”閑息亭”なるペンネームで「テレビと家庭」という一文が載っていた。その中に「・・・・ところが、テレビだけのために案出された娯楽番組となると、これはたいてい、イヤ全部おそろしくつまらない。・・・どれにスイッチをまわしてみても、安手で、粗雑で、卑俗を極めている。ある人は、これを国民白痴化運動だと、大ゲサな言い方をしていたが・・・」とあるのがおそらく一億総白痴化の源泉だろう。俗悪番組を鋭く批判する筆法は、大宅壮一そのもののタッチであった。半藤一利氏