散歩道<1944>
面白い話(169)・うやむや・相棒
かたえくぼ:2007夏:一球入魂・・・・・・・高校球児 一票遺恨・・・・・・・安倍首相(お天気坊や)
有るのか無いのかわからない「うやむや」
平安時代の歌物語として知られる「伊勢物語」に「名にし負わばいざ事問わむ都鳥わが思う人はありやなしや」という有名な一節がある。この「ありやなしや」、漢字で書けば、「有耶無耶」となり、今はこれを「うやむや」と読んで、曖昧摸糊(あいまいもこ)とした意味を表すのに使われている。昔から、言葉の発音に、人間の感情や思いが比較的正直に表現されることが多いといわれるが、この言葉などその典型だろう。国会審議などで、何を問われても「うやむや」にしてしまう大臣の答弁に、その感情がよく表れていると思うのは、いささか勘繰(かんぐ)りすぎだろうか。そうでなければ、もうすこしすっきりした答弁を聞きたいものだ。樋口清之様
"棒”にかかっていた駕籠(かご)かきの人生「相棒」
昔、街道筋にクモの巣のように網を張って、客を待ち、浮雲のような生活を送っていたため、クモ助の異名をつけられた駕籠かきたちにとって、その人生はまさに1本のかつぎ棒にかかっていた。いっしょに棒をかつぐ相手を「相棒」、棒の前をかつぐのを「先棒」(さきぼう)、後ろを「後棒」(あとぼう)などといったのも、これらの"棒”が、彼らの生活を大きくさようする重要な存在だったからだろう。現代では、棒にかけた人生といえば、さしずめ指揮者や棒高跳びの選手ということになろうが、棒が無くとも、人の手先になってお先棒を担いだり、悪事に加担して片棒をかつぐ輩(やから)は、旅人の路銀(ろぎん)をかすめとったクモ助の時代から減っていないらしい。樋口清之様