散歩道<1942>
夕陽妄語(4)・「戦争は本当にあったんだろうか」 (1)〜(4)続く
三つの類型は互いに他を排斥しない。同じ一人の人物が、生き延びたことを自ら祝い、一方で敗戦とそれに伴う外国の支配は不愉快に感じながら、他方で占領政策による開放感を味わった。例えば私自身の場合がそうであり、それを例外的であるとは思わない。
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占領国の制度や慣習が被占領国のそれよりも、「先進的」である時、占領は被占領国社会に国家主義的反発と同時に開放感を生むことがある。連合軍によるドイツのナチズムからの解放、ナポレオン軍によ北イタリアの占領と開放、遠くさかのぼればローマのヨーロッパ支配。
三類型は特に日本の場合だけの現象ではない。日本に特殊なのは、早くも占領下で「冷戦」が始まり、それが戦後60年の日本の民主主義に独特の「ねじれ」*1を与えてきたということだろう。昔米国が「押し付けた」民主主義は米国批判となり、かって米国と戦ったナショナリズムは日米同盟強化の動力となった。自民党はその「ねじれ」を代表して、戦後日本を支配してきたのである。
しかし「ねじれ」支配は、いつまでも続くものではないだろう。かっての呆然自失組は、「冷戦」に適応し、「冷戦」を利用した。その「冷戦」の子たちはもういない。時代は変わろうとしているように思われる。自民党は参議院選挙敗北の日を、鮮やかにも、軍国日本敗北記念日の頃に選んでいた・・・・・
'07.8.25.朝日新聞・評論家・加藤周一氏
関連記事:散歩道<636>選挙の後に、<1342>夕陽妄語・核兵器3題、<1405>夕陽妄語 2006年11月(1)〜(3)、<1582>夕陽妄語・不条理の平等(1)〜(4)、<1747>夕陽妄語・四月馬鹿(1)〜(4)、
備考:散歩道<87>この話に舞鶴の軍港の話を思い出した。

備考:<3785>言葉・*1ねじれ