散歩道<1940>

                     夕陽妄語(2)・「戦争は本当にあったんだろうか」                  (1)〜(4)続く

  その後8月15日が来る度に鮮明に思い出すのは、当然1945年8月15日現在の光景でなければならない。武藤氏がここで語ったのは、二つの世界それぞれの叙述の並列ではなく、・・・・その相似や差異、比較や対称ではなく、相互に到達不可能な関係の内面化である。故に現在の世界の象徴は、概念でも、気分でも、直接に感覚的な海と子供、その「鮮明な」風景であった。
 これを裏返してみれば、戦場からの多くの帰還者が家族や友人に対して沈黙を守った理由だろう。二つの世界の断絶感は、しばしば「話しても理解されないだろう」という断絶感に近い。その意味で武藤氏の「あの光景」の経験は孤立していなかった。
 しかし、戦争と平和の二つの世界の間に、断絶ではなく、一種の、または数種の関係を見る見方もあり得る。例えば戦争を経験した世代と経験しなかった世代がある。彼らは明らかに同じ経験を共有しなかったが、相互の理解があらゆる点について不可能であるとは限らない。
 戦争経験世代も、非経験世代も、それぞれの戦争賛美または反対の気分や意見を持つ。その源流を辿れば、45年8月15日の「玉音放送」=校風宣言に対する態度、または反応にまで行きつくだろう。反応の基本的な類型には3つがあって、その間には交流があった。
 

'07.8.25.朝日新聞・評論家・加藤周一氏

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備考:散歩道<87>この話に舞鶴の軍港の話を思い出した。