散歩道<1926>
ポリティカ・にっぽん(4)・62年目の夏が逝く (1)〜(4)続く
小田は「同行者」の本の後ろ書きに「おおらかで懐の深かった日本が偏狭な愛国心に毒された「美しい日本」になりつつあるようにみえる」と書き残した。小田はいまわのきみに、今度の選挙をどう思ったか。ふつうの人々の「まともな心」が若き首相の「美しい国」に「「戦争のにおい」をかぎ取った結果と信じて逝ったのではないか。
小田の葬儀の後、もう若いとはいえぬ反戦運動の仲間が炎天下、10分のデモをした。せみ時雨のなか、「We shall overcome someday」と歌った。歩きながら涙する人もいた。
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この夏。「戦後」の日本政治の大きな存在だった二人も去った。6月28日、元首相宮沢喜一死去、87歳。7月18日、日本共産党の指導者宮本賢治が死去、98歳。
宮沢*1は吉田茂*2、池田勇人の流れをくんで「戦後」をつくった人物だった。時代の波に揺さぶられながらも、「海外で再び武力行使はしない」という護憲の防波堤であり続けた。葬儀は献花だけ、弔辞もなく、娘さんが、「父はにべもない人」とユーモラスな挨拶をした。
宮本は、政治犯獄中12年、戦前の天皇制国家の弾圧と戦い抜き、戦後は共産党を議会政治の中で発展させた人だった。暴力革命よりも「護憲」を選んだ。不破哲三の弔辞につづいて長男があいさつした。
「父はまことに豪胆、明治生まれの気骨を示し続けた。大変な愛国者で、父の場合は日の丸君が代というわけにはいきませんでしたので、愛国心のシンボルは富士山でした。いつも選挙ポスターの図柄を富士山にすることを主張したのを覚えています」
テレビから、阿久が愛した高校野球の歓声が聞こえてくる。この夏、民心の奥底で何かが動いた。(敬称略)
'07.8.20.朝日新聞・本社コラムニスト・早野 透氏
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