散歩道<1924>
ポリティカ・にっぽん(2)・62年目の夏が逝く (1)〜(4)続く
上村は千葉の疎開地で、阿久は淡路島で、10歳に満たぬ子どもとして敗戦を迎えた。上村は劇が「「関東平野」で、阿久は小説「瀬戸内少年野球団」で、少年の眼で見たその時代を生き生きと描いた。それは「戦争のにおい」から解き放たれた「白い光の夏まつり」だった。
上村にとって「戦後」は「性のめざめ」だった。阿久には「野球」と「民主主義」だった。2人はのちに東京の広告会社で席を並べ友情を結ぶ。「関東平野」には若き日の阿久が登場する。上村は1986年、45歳で死に、阿久は美しい歌を残して70歳で死ぬ。ときあたかも、「戦後」を覆そうともくろむ若き首相が居座っている。
がんの病床にいた作家小田実の75歳の死の知らせは、参院選の開票が進んで、安倍の敗北がはっきりした7月30日未明だった。小田にとって、「戦後」とは「平和」だった。
少年の日、織田は3回の大阪空襲を体験した。飛行機雲の暗闇、渦巻く火災、黒焦げの死体。
敗戦一日前の8月14日の最後の空襲は、すでに日本の降伏が決ったあと、地をはいずりながら死んだ人々は、虫けらの死、無用の死、「難死」だった。以後、小田がふつうの人々の視点から「平和」を考える原点となる。
'07.8.20.朝日新聞・本社コラムニスト・早野 透氏