散歩道<1851>

                     銀の島・ニッポンを狙え・世界遺産・石見銀山

 '07.7.27.NHK,「銀の島・ニッポンを狙え、世界遺産・石見銀山が誇ったハイク技術・鉄砲伝来と不況の裏ミッション」を見て、城山三郎さんのNHKTV”黄金の日々”を思い出した。主役は市川染五郎(現松本幸四郎)が堺の豪商・呂宋(なや)助左衛門としてルソン貿易で巨万の富を得る、その後、豊臣秀吉からにらまれかの地(ルソン)にいってしまう。市川染五郎さん主役でこの物語を東京帝国劇場でも見た。
 当時日本の島根県石見銀山で採掘された銀が、東南アジア特に中国通貨の基準となって使用されていた。鉄砲が日本の種子島に伝来したのも偶然の結果ではなく、当時の
倭寇で商人であった(中国人の王直おうちょく=五峯ごほう貿易の商品として、日本に伝えたと報じられている。フランシスコ・ザビエルはリスボンを出発し、ゴア、マラッカ(東西貿易の海のシルクロード)、マカオ(ここからは、日本人ヤジロと一緒に)、鹿児島、平戸、博多、山口、堺、京都と旅する。ザビエルの一番の目的キリスト教伝道だったと思われるが、当時の国ポルトガル国王からの命として)の背景に日本の銀の情報を得ることがもう一つの役目(使命)ではなかったと、思われる(当時の石見銀山の名を記した日本地図が、ポルトガルの図書館にある)。日本から大量に輸出された(当時の銀は実に純度が高く良質のものだった)。銀は中国(明)では通貨として使用され、日本にはその見返りに生糸などが輸入されてきた、仲介貿易で莫大な富を得た、ヨーロッパには陶器類として入っていったと考えられる。(当時の沈没船の採集から判明している)。また、日本国中に一気に広まった鉄砲の使用のため、日本の各諸藩の大名は火薬の原料として硝石を東南アジアから買うことにやっきになっていたその為にも銀はどうしても必要であったと思われる。ヨーロッパではポルトガルに代わりオランダが力を持つことになる、オランダ人三浦按針は貿易と布教を切り離す政策で臨んだ為*1、江戸幕府はオランダにのみ外国貿易の門戸を開いておくことを許す。徳川家康は、通貨経済こそ経済基盤の基と考え、石見銀山を直轄地=天領として幕府の監督下におくことにする。

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