散歩道<1826>

                            文化・たたき上げの反骨精神                              

 決して死なないであろうという思いを抱かせるような人がいる。増田通二さんもそんな人だった。小ぶとりな体ながら剛毅(ごうき)。腹の底から搾り出すような声。正面から突き通して人の背骨を見るような眼力。カラ元気の二世華やかなりし昨今にはあまり見られなくなった、たたき上げのど根性男だった。「所詮(しょせん)ヒトなんて獅子舞の金歯なんだ」と大衆というものの本質を見抜きながら、庶民のブランド志向もくすぐるという一筋縄ではいかない詐術を弄(ろう)した。時代は70年代。そして渋谷。不思議な時代だった。学生運動後のしらけという鬱(うつ)の空気のなかにありながら、大阪万博、三島由紀夫割腹、浅間山荘事件、田中金脈問題、映画サタデー・ナイト・フィーバー、王の本塁打世界記録、札幌冬季オリンピック、長嶋引退、超能力ブーム、インベータゲーム、等々。躁の時代でもあったことがわかる。そんな中にパルコ文化は花開く。だが忘れてはならないことはパルコとは流通産業の規模としては弱小の、単なるテナントビルにすぎないということだ。売っているものは品物ではなく"箱”なのだ。広告、出版、ギャラリー、演劇、という様々な表現活動が時代を牽引するほどのラジカルさを示したのも、その”弱小”と”"箱売り”という二点の企業性格に負うところが大きい。広告分野においては大手の圧倒的な出稿量に対抗するために、目立つ必要があった。目立つことはテナントに売るための空っぽの箱の付加価値を高めることにもなる。必要は発明の母ということだ。2000年代の今日、広告は目立つことと他企業との差別化のために時にあざといと言えるほど奇抜な表現手段を駆使するが、そのソースはすべて70年代パルコにあると言っても過言ではない。というよりもその奇抜さにおいてはいまだパルコを超えていないとも言える。例えば「死ぬまで女でいたいのです」という広告コピー。死というネガティブな言葉は広告では禁句であり、それまで「死」という語彙(ごい)は日本の広告コピーには存在しなかった。また、そういった掟破りの表現は企業性格から来るものばかりではなく増田さんの個性と彼の置かれている立場にも由来する。彼は堤一族の支配する西部系流通産業の中の一テナントビルの雇われ社長だった。彼のあの独特の反骨精神は内外ともに彼が置かれている諸条件に由来するものと考えられる。当時、件(くだん)の「死ぬまで・・・・」というコピーは上層部からクレームがついたという話も伝わる。だが彼はそれを押し通した。トラは死して皮を残す」。増田通二は死して「死」という鮮やかな禁句を残したと言える。

'07.6.27.朝日新聞・写真家・作家・藤原 新也氏
備考:この文章はパルコ元会長・増田通二氏を悼むとして発表されたものです。

備考:この文章を読んだとき、随分、男ぽい文章もあるのだと思った。パルコについては東京に勤務していた当時、随分お洒落なビルだという感覚をもっていた。
備考:その時変化を感じた散歩道<101>-2・そのとき変化を感じた・東急ハンズ、いままでの常識を破る新しい店の出現であった。

関連記事:散歩道 <322>発想の変化の時代(3)<845>「愛国心」と「愛民心」(1)〜(3)、<596>幸福(1)・「モノ・トラウマ」の呪縛・生きることを楽しもう、<1390>時流自論・いじめという集団の自傷行為(1)〜(3)、