散歩道<1821>
宮沢氏死去・保守本流枯渇でいいのか(3) (1)〜(3)続く
石橋氏は終戦の日にすでに「前途洋々たり」と喝破したが、宮沢青年も同じ気持ちであった。ところが戦後世界は早々に冷戦に突入し長い2極化の時代が続いた。国連主導の世界平和の構築は冷戦終結までもちこされたのである。
湾岸戦争が終わると宮沢氏は「国際協力」に深い政策的関心を示し、雑誌に「国連常設軍の創設と全面軍縮」を寄稿。その秋に首相に就任、直ちに「世界の平和秩序の構築」(所信表明演説)を目指す。そして手始めに国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させる。冷戦後は同盟強化より国際協力をより重視したと私は理解している。
このころ既に「保守本流」が単なるブランドと化し、ポスト冷戦、ポストバブルの緊急事態に対応する構想力を持ち合わせなかった。「本流が枯れている」虚を突いて、戦後の成果を否定し戦前を再評価する流れが強まってきた。それは戦後史の継続発展を目指す宮沢氏の最も不本意とするところであった。
思うに宮沢氏は、「社会的公正」と「国際協力」を課題に戦後政治を乗り越えようとしたのではないか。だとすれば現状は楽観できる姿ではない。特に「集団的自衛権の行使」に不安を抱いていた宮沢氏を思うと、師と仰ぐ者の一人として、重い責任を感じさせられる。
'07.7.5.朝日新聞・元経済企画庁長官・田中秀征氏
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